ひとりの女子生徒が教室のカーテンを開いたことで、皆もようやく気がついた。だが、実際に事が起こっていたのは、部屋の照明が一斉に落ちたときだったのだろう。

 その日の太陽はご機嫌なほどに眩しく、すべての窓はクリーム色の断熱生地によって覆われていた。ゆえに、その瞬間に気付いた者は誰もいない。外が陰ってきたときも、心配されたのは傘の有無くらいのものだった。
 むしろ、彼女らの不安を駆り立てたのは、担当教師の不在の方である。彼が職員室に向かったのは三〇分前。小テストの問題用紙を取りに行く、と告げたまま未だ何の音沙汰もない。
 最初は、このまま帰ってこなければ試験自体が中止になるのでは、などと軽口を叩く者もいた。が、ここまでくるとさすがに教師の身が案じられてくる。
 そして、急に天井の蛍光灯が暗くなった。多少驚きの声は上がったが、まだ昼間である。この時点では誰もそこまで慌てたりはしない。
 だが、同時に空調まで止まってしまった。ジワジワと篭もり始めた熱に、皆、停電を疑い始める。
 そんな折に、誰かがカーテンをサッと開いた。蒸してきた部屋の空気を入れ替えようとしたのかもしれない。
 その段になって、教室は阿鼻叫喚の悲鳴に包まれた。何しろ、窓の向こうからすべてが消えていたのである。
 体育の授業を受ける生徒も、敷地を取り囲むフェンスも、その外側に立ち並ぶ民家の数々も何もない。あらゆる人工物が緑の草原に取って代わられている。
 その上、開かれた地平に連なるのは見知らぬ山々。まるで、窓ガラスをスクリーンにして外国の風景が映し出されているかのようだ。
 この暴力的な夢から逃げようと、ある者は廊下を目指す。が、そんな彼女の目の前に立ち塞がるのは無慈悲な現実。扉を開いたその先にリノリウムの床はなく、名も知らぬ草が伸び散らかっていた。
 彼女たちは泣き叫ぶ。何故こんなことになってしまったのか。これからどうしろというのか。しかし、事態が好転する気配はない。
 ゆえに、ひとり、またひとり、と教室を後にしていく。この得体の知れない新天地で生き延びてゆくために。
 広大な天蓋を覆う重い雲は、晴れ間によって少しずつ切り拓かれてゆく。しかし、その向こうに彼女らの知る空はない。

1.彼女は『力』で生き延びた。


 小早本こばやもと流華りゅうかは勇無き者のための剣になると誓った。
 彼女たちが何の脈絡もなく大自然の中に放り出されてから、もうすぐ一年が経つ。とうに家に帰ることは諦め、皆ここで懸命に生きていた。
 今日も太陽は高く、日差しは強い。これからどんどん暑くなってくることだろう。そんな中、流華は村の農作業をクラスメイトたちに任せ、一人で近くの川へとやって来ていた。
 水は冷たく、泳いだら気持ちがいいだろうな――そんな思いを馳せながら、流華は服を脱いでいく。しかし、それは当初着ていた制服ではない。いくら学生服が丈夫に作られているとはいえ、ここでの自然味あふれる生活には耐えられなかった。既にそれらはボロ布として、日常の家事の中で様々な場面に転用されている。
 代わりに、彼女らはこの地で新たな作業着をこしらえた。木綿生地を二つに折り、その縁を縫い合わせ、頭を通すための穴を開けただけの簡素な織物――染料もないため風合いは地味だが、それなりに丈夫で重ね着もできる。腰を縛れば動くのにも邪魔にならないため、流華は申し分なく気に入っていた。
 帯を解いて頭から抜けば、すぐに水に入る準備は整う。友人らが作ってくれた新たな制服を岸に残して、流華はジャブジャブと踏み入った。右手に握られているのは畑で使っていた農作業用のフォーク。彼女の役割は、これで魚を獲ることだった。
 膝まである流れの中腹に、流華は仁王立ちに構える。彼女の足に纏わり付くのは、餌を求めて泳ぎまわる魚たち。そこで精神を研ぎ澄ませた彼女の身体は、まるで川底の石と一体化したかのように微動だにしない。後頭部高めに結わえられたポニーテールの毛先だけが、釣りの浮きのようにユラユラと揺らめいていた。
 しばらくは静かな時が過ぎていく。
 だが……
 ――そこっ!
 突如流華の手がグンッ、と勢いよく振り下ろされる。彼女が握る手に伝わってくるのは川底の石の硬さ、そして――締まった肉の柔らかさ。
 水からフォークを上げてみると、立派な川魚が血を滲ませていた。
 彼女は、この魚の名前を知らない。だが、いつも食べているヤツと多分同じだから概ね問題ないだろう。
 刃から獲物を引き抜き、岸に用意しておいた桶に放り込む。そして再び気配を殺し――間合いに踏み込む魚を待つ。
 そんなことを繰り返しているうちに、ようやく大小合わせて八匹目となった。これなら二人で一匹は行き渡る。一〇人を超える大所帯だけに一人一匹とはいかないが、貴重なタンパク質源にはなってくれるだろう。
 そろそろ畑仕事の方に加勢しなくては。そう思って川から上がろうとしていたところに――
「流華ちゃん! 流華ちゃん! 助けて、流華ちゃん!_!」
 この声は、村で芋掘りをしていたはずの遥のものだ。しかし、その様子は尋常ではない。
「助けて! 畑がヤバイの!」
「多分<豚>! 多分アレが<豚>だよ!_!」
 続いて亜美、菜々、真由……と駆け込んでくる。
 何が何だか要領は得ないが――村に危機が迫っていることだけは理解できた。
「魚は頼んだよっ!」
 判らなければ、自分の目で見定めるのが手っ取り早い。流華は服を着る間も惜しんで、大漁の桶を残して全裸のまま走り出す。途中、同級生たちとすれ違いながら、彼女は村に乗り込んだ。
 全体を広く見渡すために、どこか高いところに登りたい。そう考えた流華は崩れかけた外壁をスルスルと駆け上がっていく。そこから手近な家の屋根に飛び移り、頭を低くして村の様子を窺ってみることにした。そこで彼女が見たものは――
 ……豚ァ……?
 村に蔓延るのは、豚、豚……そして、豚。
 精魂込めて育ててきた畑の作物が、何頭もの豚たちによって荒らし回されている。
 だが……
 アレが、<豚>……だと……!_?
 自分たちがこの村に根を下ろすキッカケとなった事件――目撃者であった美守、杏奈、令衣の三名以外、実のところ誰も信じていなかった。しかし、こうなっては誰もが信じるしかない。そして、流華自身も……その姿をはっきりと視認した。
 その数は一〇以上。しかも、一頭一頭が全長ニメートルを超える巨体で、全身は土色の毛で覆われていた。
 豚というより猪だな、と流華は思う。が、猪にしても明らかに異様だ。何しろ、彼らは二本の短い足で器用に直立している。その上、地面に顔をつけることなく、発達した手の指で作物を握って口へと運んでいるのだ。あんな巨大な化け猪に突然攻め入られては、女のコたちが恐れ慄くのも無理はない。
 今日は、半数以上の者たちが村に残って農作業に当たっていた。川で漁をしていた流華や、森に木の実やキノコの収穫に出ていた数名は、アイツらに出くわさなくてある意味運が良かったのかもしれない。
 村中に蔓延る野獣の群れを見て、流華はここが廃村になっていた理由に得心がいった。
 おそらくここは、収穫時期に差し掛かるとあの無法者たちに荒らし尽くされるのだ。それで、先住民たちは村を棄てて移住するしかなかったのだろう。
 そして、もう一つ認めざるを得ないことがある。どう足掻いてもここは、かつて住んでいた地球とは別の星か、別の時間か、もしくは別の次元か……ともかく、自分たちが過ごしてきた世界とは根本的に異なるようだ。これまで漠然と、ここが日本の何処か……せめて海外のどこかであって欲しい、と願っていた。しかし、それも叶いそうにない。当時の日常生活の中で、地球上にあのような生物がいるなど聞いたこともなかったのだから。
 彼女たちがこの謎の世界に来てから僅か一年足らず。土地勘もなく、他に行くアテなどない。
 この村を失うことは、即ち――死。
 それも、彼女ひとりではなく――これまで生き抜いてきた友達も……!
 ならば……戦うしかない!_!
 だが……
 いくら腕っ節に自信があっても、あの化け物共と真正面からやりあえる気はしない。だが、奇襲で――一頭だけの息の根を止めるのなら、可能性はあるはず。
 ヤツらが本当に各々で自由奔放に動いているなら手の施しようがない。だが、この数の獣が息を揃えて襲撃してくるなど考えにくい。猪たちは群れで行動していて、その中に必ずリーダーがいる。その一頭を切り崩せば、相手は自然と瓦解するだろう。
 群れる連中ほど、その中核が崩れたときには情けないほど脆い。子供の頃より喧嘩慣れしていた流華は、それをよく理解していた。
 一体一体の動きと全体の流れを見ていると、その中心になっている者が見えてくる。ボスは……麦畑の端に座って穂を貪っているヤツか!
 流華は元の石壁に戻り、その上をなるべく音を立てないように伝っていく。猪たちは実った穀物を食い漁るのに夢中で、まさか鼠が一匹紛れ込んでいるなど思いもよらない。
 手の届くところまでは忍び寄れたが、ここにきて流華は足を竦ませる。同じ人間ならともかく、相手の生体が解らない。しくじれば命を奪われるのはこちらだ。
 それでも……
 チャンスはここしかない。
 逃げることもできない。
 ならば……!
「いぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ!_!_!」
 自分を鼓舞するように鬨の声を上げると、勢いをつけて細い足場を蹴る。そして――一突! 真っ直ぐに貫かれた槍の刃先はボス猪の首筋にブスリと埋め込まれた!
「ブギャァァァァァァァァァァァァ!_!」
 轟く野太い断末魔に、獣たちもようやく乱入者に気づく。
 もう後には引けない!
 自分の命に代えてもコイツだけは――る!_!
 流華は確実にトドメを刺すべく、フォークの槍に自分の全体重を掛けて蹴り込んだ!
「グブボゴォッ! ゴブボボゴボボゴォ!_?」
 どうやら、得物の刃が喉まで達したらしい。痩せ細った小さな人間の手によって、肥え太った巨大な猪のような生き物はドウと押し倒された。口から鼻から真紅の血を吐き、麦畑を黒く染めていく。
 猪の仲間たちは、この惨状が理解できない。
 ボスの上に乗っているのは、どう見ても貧弱な小動物だ。
 あんなものに我らのボスが負けたというのか?
 戦うべきか、逃げるべきか――指示を下すべき本人は畑に寝そべったまま動かない。これにはどうして良いか判らず、各々芋や麦を片手にオロオロしている。
 そこに放たれる最後の一撃!
「ぅるあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!_!_!」
 鬼のような咆哮。
 噴き上がる鮮血。
 真っ赤に染まった矛を引き抜き、返り血の中で流華は雄叫びを上げた。
 戸惑っていた獣たちの群れに恐怖が一気に伝搬する。未だに混乱は覚めないが、とにかくこれは只事ではない。
<豚>たちは食べかけの作物を放り出して逃げてゆく。それまでの二足歩行も忘れて、両手両足で地に這い蹲って。
 流華は凶器を振り上げたまま、その様子を見届けていた。この一撃に命を懸けていた彼女の膝は、疲れ果ててガクガクと震えている。しかし、敵に弱った姿を見せては、思わぬ反撃を許してしまうかもしれない。
 最後まで睨み通して、完全に敵の気配がなくなったとき……ようやく緊張から解き放たれた。勝者の両腕は、異形の血で染め上げられている。一歩間違えれば――これは自分の血だったかもしれない。そう思うと、今更ながら恐怖が蘇ってくる。今日は勝てたが、明日は我が身……か。
 振り返ってみれば、これは今まで馴染んできた喧嘩とは違う。正真正銘の殺し合いだ。戦っている間は無我夢中だったが――我ながら何と向こう見ずな! 戦うしかなかったとはいえ、あまりに軽率な開戦だった。
 それでも――流華に後悔はない。彼女には護りたい仲間たちがいるのだから。
「流華ちゃーん! 流華ちゃーーーん!_!」
 その呼び声に応えるように、流華は握り拳を空に向けて突き上げる。
「おーーーい! あたし……勝ったぞーーーーー!」
 血に濡れた手を振る流華に、守られたクラスメイトたちは顔面蒼白。それでも、彼女らは彼女らなりの勇気を振り絞り、流華の勝利を褒め称える。
「あ……ありがとう、流華ちゃん……」
「大丈夫? 怪我とか……ない?」
「とりあえず……ほら、身体洗って……服着よ?」
 みんなが本当の笑顔を取り戻すには、あたし自身を身綺麗にしなくちゃならない――か。戦いの跡を洗い流すため、流華は再び川へと足を向け直した。
 突発的な大仕事を終えた彼女だったが、休んでいる暇はない。大切な畑は無茶苦茶にされてしまった。すぐにでも立て直したいし、そのためには巨大な死骸もどうにかしなくてはならない。何より、あんなものを放っておいては、帰ってきた外出組を怖がらせてしまう。
 どうせ驚かすなら、良い意味で驚かせたい。もし食べられそうなら、今日の夕飯は猪鍋にしよう。この一年、魚ばかりだったから、この御馳走には喜んでくれるはずだ。煙で燻せば干し肉も作れるかもしれない。魚だろうが、化け物だろうが、奪ってしまった命には敬意を払い、大切に扱うべきだ。
 流華の中に猪たちに対して村を破壊された憎しみはない。流華もまた、彼らの大切なリーダーを奪ってしまったのだから。
 だが、向かってくる限りは何度でも戦おう。自分のいる限り、彼女たちには指一本触れさせない。
 勇無き者のための剣として、流華は誓う。例え我が身が血塗られようとも。
 だが……
 この日、被害に遭ったのは村の畑――だけではなかった。その悲しみを受け入れるためには更に長い月日が必要になることを、彼女たちはまだ知らない。

       ***

 いまから一年ほど前、彼女たちは学校の教室ごとこの世界に飛ばされてきた。生きる希望を求める者、絶望のあまり焦る者……その切り取られた部屋から旅立つ理由はそれぞれ異なる。
 しかし、彼女たちに一つだけ共通することがあるとすれば――それは、行動力。自分の感情を行動として表現するべく、未知なる大地へと自らの足で踏み出していった。
 その後、去っていった者たちがどうなったのかは判らない。無事助けを得られたのかもしれないし、道中で野垂れ死んだのかもしれない。どちらにせよ、残された者たちがそれを知ることはないだろう。確かめに行くための行動力を、彼女たちは持ち合わせてはいないのだから。
 しかし、そんなことではこの環境を生き抜いていくことは難しい。ゆえに、流華もまた、ここに残ることにした。残された者たちを護るために『積極的に留まる』という選択――それが、彼女の下した決断だった。
 しばらくは、飛ばされてきたままの一画で雨風を凌いでいた。昼は川や山に食料を探しに出かけ、夜は静かに震える日々が続いてゆく。
 表面上は協力し合っていたが、内心……彼女らは別の誰かを憎んでいた。どうして自分がこのような理不尽な形で文明の外に放り出されなくてはならないのか――その憤りを、自分以外の誰かにぶつけずにはいられなかったのだ。
 しかし、それと同時に理解もしていた。自分が生きていくためにはこれ以上誰が欠けることも許されないことを。労働力の欠如は、我が身の存続すらをも危うくすることを。
 このような緊迫した状況で誰も超えてはならない一線を超えなかったのは、流華の存在が大きかったといえる。
 彼女は誰よりもよく働いた。それは、食糧採取だけに留まらない。水面下で繰り広げられる派閥争いや時折見え隠れする嫌味の応酬に、逐一正しい道を示していった。
 それは傍から見れば独善的だったかもしれない。だが、彼女らは流華に逆らうことはなかった。彼女ら自身、流華が居なくては自分たちの社会は回らない――そう認めていたのだ。
 危ういながらも、彼女らの共同生活は二週間ほど持ち堪えていた。しかし、それにも限界が近づいてくる。亜美が持ち込んでいたライターの燃料が尽きかけていたのだ。
 何故学生の身分たる彼女がそのようなものを携帯していたのか――それを問い質すことはしない。ただ、次に火種が消えれば、それは死を意味する。
 また、流華は教室に残されていた室温計で気温をつぶさに調べていた。いまはまだ暖かいが、気温は徐々に下がりつつある。こんな薄い壁では、暖を取ることも難しい。
 この窮地を馬鹿正直に説明しても、クラスメイトたちを不安がらせるだけだ。彼女は皆に悟られぬよう、密かに旅立ちの準備を始めていた。冬を越すため、と偽って食料を少しずつ備蓄してゆき、確保できたのは一週間分。当然、これで春まで持つはずはない。
 それでも、彼女たちにとって未知の生活は恐怖の対象である。そんな者たちをどうやって新天地へと導いたものか。流華は頭を悩ませていた。
 だが、その好機は自ずとやってくる。森に食料を探しに行っていた三人の同級生たちが、真っ青な顔色を引っ下げて手ぶらで戻ってきたのだ。
 使えない労働力はこの場に必要ない――周囲は徹底的に彼女らを罵倒する。が、それすらも彼女らの耳には届かない。ただただ揃って流華に泣きついていた。
「二本足で歩く大きな<豚>が!」
「それも、相撲取りみたいなおっきいのが!」
「アイツらに襲われたら……絶対殺される……!」
 彼女らは、ここから逃げよう、と口々に主張する。にわかに信じられる話ではないが……自分以外に率先して旅立つことを願い出る者が現れたのだ。これに乗らない手はない。
 流華は彼女らの気が変わらぬうちに、いますぐ人の住む街を探してみようと提案した。どのみち、ここに居ては死を待つのみである、と暴露して。
 流華が思っていたとおり、皆は一様に渋った。火種のことや、気温のことを伝えても、まだ大丈夫、もう少し大丈夫、と動きたくないことに数々の理由を積み重ねてゆく。
 それでも、流華は断固として目撃者たちの意見を採用した。そこまで言われては、<豚>の存在を信じられない者たちも従わざるを得ない。どんなに不満を並べようとも、彼女らに流華を失って生きてゆける自信などなかったのである。
 集落を求めて、彼女たちは川沿いを下っていった。しかし、行けども行けども豊かな自然が広がり、建物の影も見えてこない。
 出立から二日ほど経った頃、『引き返すべき』『何をいまさら』という対立意見が火を噴き……ついに彼女らは集団としての推進力を失った。
 こうなっては、流華も腹を括るしかない。
 彼女らにはここにキャンプを敷くよう伝え、ひとり先行して周辺を探ってくることにした。何か揉め事があっても、三日だけは我慢するよう頼み込んで。彼女は、この三日間が自分たちの余命だと覚悟した。
 身軽になった流華は黙々と歩き続ける。足が傷んでも、残してきた仲間たちのことを思うと休んでなどいられない。
 そして、最初の夜が明ける頃……ついに奇跡を目の当たりにした! 流華の行く先に、石造りの壁が見え始めたのである。
 そこに着けば、間違いなく誰かはいるだろう。連絡をとって、待たせた仲間たちを迎えに行ってもらうこともできるかもしれない。とはいえ、それも言葉が通じれば、の話だが。流華は英語の勉強を疎かにしてきたこと少なからず悔いていた。
 だが、近づくにつれ、その期待は不安に変わってゆく。その町並みは大きくなってくるのに、何の喧騒も聞こえてこない。人の動く気配も感じられない。
 この雰囲気はまさに――流華自身が捨ててきたあの教室そのものではないか!
 そして……
 その全貌が明らかになったとき、彼女は絶望に膝を突く。
 打ち捨てられてからどのくらい経ったのだろうか。石造りの外壁はボロボロに崩れ、その内側の住居にも苔が蔓延っている。
 何より、電線もなければ電灯も見受けられない。朽ち落ちたわけではなく――最初から、何もなかったかのようだ。
 どうにかして人と連絡を取ろうと流華は村中を探しまわったが、何ら有効な手立ては見当たらない。あるのは何百年も時代を遡るような原始的な農具や工具ばかり。
 この時点で流華は、元の生活に戻ることを諦めた。とはいえ、項垂れている場合でもない。あと二日――遅くともそれまでには戻らなければ、彼女らは互いに傷つけ合い、ひとり残らず自滅することになるだろう。
 絶望的な状況ではあるが、流華はここにすがるしかなかった。建物自体はしっかりと作られており、悪天候を凌げる分野宿よりは遥かにマシだ。中には崩れかけているモノもあるが、使えるところを使っていけばいい。
 流華は、意を決して引き返す。ここを、自分たちの新たな生活の場として据えるために。
 とはいえ、それをそのまま話しても、きっと彼女らは失望するだろう。彼女らが求めているのは元の便利な日常生活への回帰であり、腰を据えてこの地に根を下ろすことではない。
 ゆえに、クラスメイトたちのところに戻ってきた流華は、空元気を振り撒いた。誰もいない村があるから、乗っ取っちまおうぜ、と。
 リーダー不在で統率を欠き、ただただ膝を抱えて不満を膨らませ続けていた居残り組は、彼女の報告を受けて生きる気力を失った。いつか帰れると信じていた未来は、事実上閉ざされたのである。手の届くところに助けはない。かといって、手の届かないところに助けを求めに行く足もない。
 ここで寝てても死ぬだけだぞ――流華は涙を呑んで、これまで護ってきた仲間たちに背を向ける。さすがの彼女にも、これ以上差し伸べられる手はない。
 その場を離れていく流華に焦ったのか、一人の女子が立ち上がる。それに釣られて、もう一人、また一人、と重い腰を上げてゆき、結局全員――トボトボと流華の後に続いていった。どんなに嘆こうとも、彼女らの中に積極的な死を選ぶ者はいなかったのである。
 一人の足と一団の足――その歩みは大幅に異なる。流華が級友たちを引き連れてから二日が経った頃、彼女は再び変わらぬ光景を目にすることとなった。初めて見たときのような高揚感はない。それが抜け殻だと知っているから。
 しかし、それを予め知らされていた者たちに過度の期待は最初からない。流華以外にとって、それらは帰還の可能性ではなく、ただ単純に住みやすそうな居住空間として映っていた。その上、家財道具もある程度残されている。これまでとは比べ物にならないほどの生活環境を手に入れて、彼女たちは喜びに満ち溢れていた。
 そんなクラスメイトたちを見て、流華は自らの悲観を少し恥じる。自分が心配するような混乱など一切なかった。先のことは先でいい。流華は、みんなで生きるための明日だけを考えることにした。
 行動力なき者たちが何よりも渇望していたのは『安定』である。今度こそ他所に移らずに済むよう、力を合わせて荒れ果てた村の再建に尽くしていた。
 ここには生活に必要なものが数多く残されていたが、彼女たちを最も舞い上がらせたのは畑の存在である。うまくいけば、いままでのように食糧を探しに出ずに済むかもしれない。これは彼女たちにとって夢の様なことだった。
 実家で農業を営んでいた桃子の指揮の下、彼女らは残された種籾や種芋の世話を続ける。秋口に溜め込んだ食糧は冬半ばにして尽きてしまった。寒い中、森へと探索に出てみるも、芳しい成果は得られない。彼女らは豊作の春を夢見て、野草を齧って飢えを凌いだ。
 そしてついに……暖かい季節の到来と共に、畑いっぱいに新たな食糧が実り始めたのである。これにより、彼女らはようやく息を吹き返した。ずっと見向きもしなかったが、ここには食糧以外の遺産もふんだんにある。様々な試行錯誤の結果、火打ち石や機織り機もどうにか扱えるようになった。
 ここまで生活の基盤が整えば、しばらくは何とかなりそうだ。誰かが助けに来るのを待ちながら、ここで一日でも長く生き延びよう。消極的ながら、彼女たちにもようやく希望が芽生え始めていた。

       ***

 そんな折の……突然の欠員。
 森に出かけていた優香、美守、楓の三人が、夜になっても帰ってこない。あの大猪たちがどこから来たのか――それを考えれば、彼女たちの生存は絶望的だ。
 しかし、誰もがその現実に口を閉ざす。かといって、捜索に出よう、とも言えない。これ以上犠牲が増えれば、村の存続も危うくなる。
 しばらく森に入ることは禁止し、交代で夜通しの見張りを立てることにした。しかし、避けて、監視をするだけでは生きてゆけない。村を、そして友人たちを護るため、流華の日課に早朝の修練が加わった。護るためには、戦わなくてはならない。
 もう誰ひとりとして失ってなるものか。流華はそう胸に誓い、森に向けて黙祷を捧げた。

 それから数カ月後――もうすぐ寒い季節がやってくる。あれ以来、多少のいざこざはあったものの、彼女たちは平穏に暮らしてきた。とはいえ、時期が時期である。昨年は幸い大病を患う者はなかったが、今年もそうとは限らない。
 正体不明の粉末の入った包はいくらか残されていたが……何に効く薬なのか、そもそも人体に有効なのか、下手に触ることもできずに難儀していた。
 残念ながら村に書物の類はなく、未だにこの地方のことはさっぱり解らない。それでも、少なくとも生きていくだけの食糧はある。ならば、自分たちにできることを一つひとつ積み重ねていくだけだ。
 そして、流華にできること――それは、勇無き者のための剣となることである。
「流華ちゃん! また松明の群れが近づいてくるよ!」
 例えベッドで横になっていても、彼女は深い眠りにつくことはない。
 夜の見張りに立っていた美咲からの第一声で目を覚ました流華はそのまま部屋から飛び出した。そして、真っ先に掴むのは鉄製の剣。先日拾った戦利品で、桑や鋤などよりは断然使いやすい。何より、農具はこの村の大切な生命線である。不要な荒事で壊したくもない。
 寝間着一枚に剣だけを握り、流華は崩れかけた外壁の陰から外の様子を窺う。確かに、松明を焚いた一団のようだ。その速度からして、今度馬に乗っていると思われる。折角だから武具だけでなく、馬の方も頂戴したいものだね――流華は不敵にほくそ笑む。
 だが……
 戦う前に少し気になることが。あの集団の先陣より更に先に、もう一頭誰かが疾走はしっている気配がある。ひとりだけ、明かりも灯さずに。
「美咲、もし誰かが助けを求めてきたら、その人だけは入れてあげて」
「ん。流華ちゃんも気をつけて」
 流華は真正面から迎え撃つように身を潜める。先頭を走る正体不明の一騎を確認するために。
 そしてそれは、すぐに明らかになった。馬に乗って駆けてきたのは、ひとりの女性――美しいブロンドの髪を靡かせて、流華に向かって必死に何かを呼びかけている。
「モイ! モイマイ! ノロス!」
 言葉の意味は解らないが、後ろの連中から必死に逃げてきたことくらいは解る。流華は手振りで村の方へと誘導し、その場で追っ手と対峙することにした。
 が、明かりを掲げる者たちを見て、流華は即座に激高する。
 ――大の男が寄って掛かって、あんな女性ひとりを――!
 もはや、理由や事情を問う必要はない。男の集団が女性を追い回しているのだ。
 それだけで……万死に値する!
 彼らは武装していない。それでも流華は容赦なく剣を振りかざす。かつて道場に通っていた頃――女というだけで見下してきた男共に対して、手加減など必要ない。そんなに腕に自信があるなら、女の一太刀止めてみろ!
 突進してくる騎馬に対して、流華はまったく怯まない。明日は桜鍋だな――そんなことを考えながら、先頭を走ってきた馬の喉元を迷いなく鉄の剣で貫いた。
「ヒギャアアアアアアアアア!」
 悲痛ないななきと共に悶える馬に振り回されて、騎手も松明を放り捨てて叫び声を上げる。
「オプッ! オブル! オブルゥ!_!」
 それは、どうやら撤退命令らしい。続いていた馬群も次々と引き返してゆき、あっという間に元来た方へと遠ざかっていった。
 落馬した男も闇に紛れて逃げたようで、もう誰の気配も感じない。流華はそれ以上追うことはせず、刃を鞘に収めた。彼女とて、逃げる敵の背を斬る剣は持ち合わせていない。
 片が付いたことを確認して、流華は村へと凱旋する。そんな彼女を待っていたのは、困り果てて立ち尽くす美咲と、謎のブロンド美女だった。
「ノル、モルトノルモイ……ヨース?」
「どうしよう、流華ちゃん……この人、ナニ言ってんのか解かんない……」

 彼女の素性は一切判らなかったが、現地民と協力関係を築くことができたのは大収穫といえよう。
 一先ず、この女性のことは『ミーネ』と呼ぶことにした。言葉の細かなところはさて置き、何となくそれが名前に該当する音節だと思われたからだ。
 彼女らは少しずつ互いの言葉を教え合い、徐々に理解を深めていく。何に使うか解らなかった道具の扱い方を知ることもできたし、彼女の馬にも農作業を手伝ってもらえるようになった。
 しかし、何より流華たちを驚かせたのは――
「トルス……ヨルグっ!」
 かまどの中に描かれた円と直線の模様が、ミーネの掛け声と共に何の火種もなく突如燃え始めたのである。豚の化け物の強襲を受けて以来、何を見ても驚かないつもりだった流華も、これには度肝を抜かされた。
 この世界では自分たちの常識は通じない。ならば、それを素直に学んだ方が、今後の生活も楽になるだろう。この不思議な現象については、自分たちの世界で『魔法』と呼ばれていた空想科学が実在している――ということで納得することにした。
 現代の日本人たちは、見様見真似でミーネから魔法の技術を教わっていく。その結果……多くの女子たちは基礎的な魔術を身につけることができた。もっとも、まどろっこしいことが苦手な流華はすぐに頓挫してしまったが。
 ひとつきも共に暮らせば、それなりに意思の疎通は可能となる。寒い冬が来て畑仕事が難しくなってくると、流華たちはミーネとの語らいを中心に過ごすこととなった。
 どうやら、この村はかつて<イローム>と呼ばれており、<モートリウス>という国の辺境に位置するらしい。この地域は豊かな穀倉地帯であったが、<グルーフ>と呼ばれる豚の化け物に幾度となく襲われ、村ごと放棄せざるを得なくなったようだ。
「<グルーフ>にカテるオンナいるとは、リューカ、スゴいですね」
「頭も使わず暴れまわってる野郎共とは違うってことよ」
 実際問題、群れのかしらを見分けられないと厳しかろうなぁ……と流華は思う。あの数の巨豚に襲われたら……まあ、逃げるね、普通は。
 彼女のような戦い方ができる者は、残念ながら多くない。そのため、近隣地域の住民たちからは危険地帯として通行することすら避けられていた。
 ところが、最近になって妙な噂が流れ出す。廃れたはずのその村に、謎の一団が住み着いたというのだ。それも、嘘か真か女ばかりとのこと。
 そいつはいい、と山賊崩れのゴロツキどもは早速村に襲いかかる。が、流華はそういう男が大嫌いだ。蹴って、殴って、斬りつけて、逆に無法者たちの身ぐるみを剥がしてしまった。
 ほうほうの体で逃げ帰ってきた男たちはそれまで流れていた噂に追記する。確かに女ばかりではあったが……あの村は<男子禁制の聖域>である、と。
 それを信じてミーネはここに逃げ込んできた。が、その理由を聞いた流華は激怒する。
「……ってェ……そいつァ政略結婚じゃねェか! フザケんなッ!」
 ミーネはここから少し離れた<トグルーネ>という街の、そこそこ良家のお嬢様だったらしい。上に二人の姉がいたが、いずれも領主や大商人のところに嫁いでいる。
 そして、彼女もまた別の商人のところに嫁がされそうになったところで――逃げ出した。
<モートリウス>では、女が他所の家に嫁ぐということは、相手の男を主人と仰ぎ、仕えることを意味する。同じように嫁いでいった二人の姉たちは、それなりに幸せに暮らしているようだ。
 しかし、ミーネは相手に納得できなかったのである。
「ワタシのホウが、ウったり、カったり、ウマい。あのオトコには、マカせられない」
 彼女が嫁ぎ先として指示されたのは、その街で有名な武器商人であった。しかし、武具など嵩張るし、争い事はいずれなくなり、廃れていく。ゆえにこれからの時代は魔法であり、流通の主流たるは魔術書――ミーネはそう予測していた。
 無様に時代に取り残されてゆくであろう家に嫁ぐなど屈辱でしかない。それで、ミーネは男の下へ送られる道中、従者の馬を奪って逃亡を図ったのだった。
 辿々しい日本語ながら、彼女の熱意はひしひしと伝わってくる。これには剣の道を志してきた流華も苦笑い。ミーネの言うとおり、平和になった世の中では武道は見世物や健康体操のように扱われており、本気で強さを極めようとしている者などほとんどいないのだから。
「うんうん、ミーネはいい商売人になれるよ」
 悪意はないものの、ミーネの演説は流華の耳には痛いものだった。彼女が怒り出さないかと周囲はヒヤヒヤしていたが、肯定的に頷いている様子に皆は胸を撫で下ろす。
 当の流華は、剣が云々よりも、ミーネの生き様にいたく感動していたようだ。
「男はバカだからそれが解らないんだよ。この才能を男の下なんかに埋もれさせるのは勿体ねェ! あたしたちと一緒に頑張ろうぜ!」
 彼女は若き女商人の手を取って、熱っぽく激励を送る。
「ハイ! ヨロしくおネガいしますっ!」
 思った以上の理解が得られたことで、ミーネは<イローム>に対して全面的に協力することに決めた。ここで遠い地より移り住んできた少女たちと共にあることが、自分の夢を叶えることにも繋がりそうだと考えたのである。

 幸い、ミーネは三女であったため、実家から執拗に追っ手を差し向けられることはなかった。事実上の勘当である。
 しかし、悲観することはない。周りにはこんなにも多くの仲間がいる。人手さえあれば、意外と何とかなるものだ。
 冬の間は積極的に畑を耕すことはできない。この時期を利用して、ミーネは織物を作ることを提案した。越冬のために蓄えていた穀類も、食べきれない分は売ってしまえばいい。これも、この土地の言葉を話せるミーネがいるからこそである。
「ウれるモノは、ナンでもウってしまいましょう!」
 ミーネは、根っからの商売人だった。

 自給自足から物販へ。新たな目標が生まれたことで、村はにわかに活気づいてきた。これには流華もじっとしてなどいられない。
「あたしにも手伝えること……ないかな!_?」
 彼女の気持ちはありがたいのだが……しかし……
「寒い中、水仕事をしてもらってるだけでも充分だよ」
「流華ちゃんは、春まで充電期間ってことで……ね?」
 残念なことに、流華には機物を織る器用さも、美しい模様を描くセンスもなかった。
 ひとり女子たちの輪の中に入れずしょぼくれる流華だったが、それを見たミーネの商人の血が騒ぐ。使えるものは何でも使う――それが、商人という生き物の本能なのだ。
「では、リューカさんはワタシとマチにイッて、ワタシをマモってクダさい」
 いわゆる、ボディガードである。女ひとりで物を売り歩くのは何かと危険も多い。武装した流華に同伴してもらうだけで、避けられる事故もあるだろう。
 ミーネからの提案は、流華にとって悩ましいものだった。自分が村を空けている間に誰かに襲われたら……と思うと、心配でならない。
 が、他ならぬクラスメイトたちも、ミーネに随行するよう後を押す。
「この織物は、私たちの希望なんだよ! だから、流華ちゃんに守って欲しいんだ」
「私たちは大丈夫! 何かあったら……うん……逃げるから」
 そこまで言われては断れない。流華は彼女らのために、ミーネと商品の護衛係を引き受けることにした。
 その後も次々と機は織られてゆき、これ以上は原料もない。村の倉庫で収納代わりに使われていた荷車を引っ張り出し、そこに積み荷を載るだけ載せた。
「それでは、イッてまいりマース!」
「外から男が襲ってきても、戦おうとするんじゃないぞー」
 ミーネと流華は村の女のコたちに見送られながら行商の旅に出発した。
 ここから最も近い<クルフネン>という街でさえ、馬でも半日は掛かるそうだ。二泊三日の旅程のうち、初日と最終日はほぼ移動だけで潰れてしまう。そんな不便な環境ながら、何だか海外旅行みたいだ――と流華は逆に楽しくなっていた。
 そんな彼女の興奮は、<クルフネン>の街に到着すると共に最高潮を迎える。
 路面は石畳で敷き詰められ、通りを挟みこむように連なるのは複数階ある背の高い建物たち。彼女が人生の大半を過ごしてきた都市と比べればむしろ素朴だが、久々に見る文化的な街並みである。今度は村のみんなにも見せてやりたいな、と故郷イロームに想いを馳せていた。

 時は金なり――生まれた世界は違えども、どこの商売人も考えることは同じらしい。街に着くなりミーネは早速商会に赴き、夕市の空きを確保することに成功した。
 まさか当日にいきなり店を出せるとは思っておらず、流華は心の準備ができていない。しかし、そんな心配など必要ないほど、初日の売上は絶好調だった。
 異世界から来た学生たちのデザインは――最早素人の域ではない。それもそのはず、彼女たちの世界のプロの手によって完成された一品である。これにミーネによる監修が加わり、選び抜かれた色柄たちだ。人目を惹かないはずがない。強気の価格設定にも関わらず商品は飛ぶように売れていった。
 彼女たちが織ってくれたものがここまで喜ばれると、流華としても嬉しくなってくる。だが、商品が優れていること、ミーネの営業が達者であることの他に、実はもう一つの要因があったようだ。
 その日泊まった宿屋は、ミーネ曰く、安価で質素な部屋らしい。それでも<イローム>の生活からは考えられないほど清潔で整った客室である。流華は、村に残してきたみんなに申し訳なくなってしまった。
 節約のために一人部屋に泊まったので、二人は狭いベッドの中で身を寄せ合う。寒い季節に暖房もないが、これならとても温かい。
 吐息も届きそうな距離で見つめ合いながら、ミーネは唐突に礼を述べた。
「アリガトウ、リューカ。タクサンのキャクがキてくれたの、リューカのおカゲ」
「あたしゃ何もしてないよ」
 これは謙遜ではない。現地語を話せない流華には本当に何もできなかった。せいぜいミーネに変な男が寄り付かぬよう、剣を片手に目を光らせていたくらいのものである。
 しかし、それが案外功を奏したらしい。
「アシタ、リューカ、ワタシのカレシに、なって?」
「彼氏!_?」
 突然の告白に流華はドギマギしてしまったが……詳しく話を聞いてみると妙な意味はなかった。今日、街の女性たちの中には流華に惹かれて寄ってきた者も少なからずいたらしい。
 近頃の流華は、ひとりだけ特別な服を着ていた。活発に飛んだり跳ねたりする役回りが多いため、穿いているのは特別製でズボンである。それに加えて、寒さを防ぐために厚い外套を羽織り、腰には勇ましい鉄の剣。今日の流華の姿は、女性というより美しくも凛々しい青年剣士としてご婦人方の目に映ったようだ。
 流華自身、道行く女性たちからの眼差しに気付いてはいた。しかし、それが同性ではなく異性を見る目だと知らされては……少なからず落胆してしまう。彼女はいつも、女から見て格好のいい女でありたい、と願っていたのだから。
 ともあれ、男を同伴させていると思われた方が、ミーネの身の危険も未然に防げることには違いない。彼女のためにも、流華はこの男役を不承不承に受け入れたのだった。

 彼女が街で男として振る舞うことで、村にも思わぬ恩恵をもたらした。何しろ、それまで<男子禁制の聖域>と呼ばれていた場所から男がやってきたのである。それに、街の人と言葉を交わせるミーネもいる。お陰で必要以上に刺々しい誤解は払拭してもらえたようだ。
 彼女たちは冬の間、何度も<クルフネン>の街に通った。その際には<イローム村>の宣伝も忘れない。イメージアップの積み重ねにより、村にもぼちぼち人がやってくるようになってきた。女性だけでなく、男の人も。
 これまで遅々として進んでいなかった外壁の修繕も、男手が加わることでようやくそれなりの形になった。畑仕事も男に任せ、女は機織りに精を出すことができる。
 女子たちは重たい肉体労働から開放されて喜んでいたが……流華だけは、この変化をあまり好ましく思っていなかった。
 折角、女のコだけで楽しく暮らしていたのに……
 流華は、異分子の混入を歓迎できずにいた。

       ***

 流浪の学生たちによって再建された<イローム村>であったが、ミーネの手腕により急速に発展を遂げていく。近隣の街からやって来た人々が住み着いたことで人口は何倍にも増え、外の畑まで含めた敷地は当初の数倍まで広がっていた。
 こうなってくると、流華たちの言葉よりも現地語の方が勝手も良い。日本から来た彼女たちも郷に従い、いつの間にやら<モートリウス>の国の一部として遜色ない暮らしを送っていた。

 とはいえ、男と女が共に暮らす以上――どの世界でも避けられないトラブルというものはある。それを気に掛けていたリューカだったが……不安の種は、ついに地表に芽を出した。

 この地方の夏は、気温は高くとも湿度はそれほどでもない。下着も同然の姿で寝入っていたリューカは、夜の帳を切り裂くような悲鳴に起こされた。
 見張りの鳴らす鐘はない。その上で村の女のコが金切り声を上げたのだから、どこぞの男が悪さをしでかしたに決まってる。リューカには疑う余地などなかった。
 着るものも着ずに特注の愛刀だけを携えて外に飛び出すと、星空に向けて一喝する。
「不埒な野郎はどこだーーーっ!_?」
 クラスメイトだけならともかく、いまではリューカの知らない者も多い。助けを求める声がどこから響いてきたのか、さすがの彼女にも見当が付かない。
 一軒一軒押し入ることも辞さないつもりだったが、斜向かいに居を構えるミノザ夫人がリューカの問いに応じてくれた。
「多分、ノルミちゃんじゃないかしら!_?」
 窓から身を乗り出して指を差す夫人に一言礼を述べると、リューカは真っ直ぐ討伐に向かう。
 ノルミという名なら記憶に新しい。確か、一〇日くらい前に街の方からやって来たコと聞いている。変な男に付きまとわれていたので逃げてきた――とも。その男がここまで追ってきたのだろう。これは……絶対に許せない!
 少しざわつき始めた村の中央通りを駆け抜け、到着するや否や木の扉を一刀両断に叩き割る!
 バキャン、と乾いた木材が砕け散る音と共に飛び込んだ部屋の中でリューカが見たものは……ベッドの上でノルミに跨って服を引き千切ろうとしている男の影だった。
「許さん、死ねッ!_!」
 躊躇することなくリューカは鞘を抜き捨てる! それを止めたのは、他でもない……被害者のはずのノルミだった。
「殺しちゃダメ!」
 いまのリューカが本気でこの男を殺めようとしていたかは判らない。だが、彼女の激昂は、助けを求めたノルミすら戦慄させるものだった。
 女のコを震えさせているのが自分だと気づき、リューカは少し冷静になる。鋭い刃の方ではなく、握っている柄を男の頭頂目掛けて振り落とした!
「ギャゥっ!_?」
 尻を丸出しにしていた男はリューカの襲撃に対応できない。情けない呻き声を上げると、ゴッ、と鈍い音を立てて床へと転がり落ちた。
 それでも、制裁は止まらない。続け様に男の鳩尾目掛けて飛び乗ると、その顔面に向けて何度も何度も硬く重たい柄頭を叩きつけた。もう二度と女のコに声を掛けられないツラにしてやる! そんな怨念を込めて、死ぬほどの気迫で、死なない程度に……!
「もっ……もうやめてリューカさんっ!」
 あまりの暴力にただ震えていたノルミだったが、これは止めに入らざるをえない。例え相手が暴行魔であっても、目の前で人が殺されるのを黙って見てはいられなかった。
 後ろからノルミにしがみつかれ、ようやくリューカは我に返る。しかし、まだ冷めやらぬ怒りは矛先を求めて燻らせていた。
 いつの間にか、家の外は騒ぎを聞きつけた村人たちで人垣ができている。そこに男の姿も混ざっていたことで……リューカは激昂を抑えきれなくなってしまった。
「男は出て行け! クソ野郎共は今すぐこの村から出て行けええぇ!_!」
 様子を見に来ただけの村人に向かって殴りかかろうとするリューカを、傍にいた三人の女性が慌てて押し留める。
「リューカさん! 一先ず帰りましょう!」
「落ち着いて話し合おう? ねっ!_?」
 女子に押さえこまれては、リューカはそれ以上暴れることはできない。怪我人の措置は男たちに任せ、女性陣はリューカを取り囲みながら自宅へとエスコートしていった。

 村に男がいる限り、第二の犠牲者は避けられない。これを機に、リューカはすべての男を追い出すと宣言した。が、さすがに村の女子からの賛同は得られない。男が来てくれるようになったことで、彼女らの生活は格段に楽になっていたからだ。いまさら力仕事などしたくもない。
 結局――男は総員村を守る戦士として鍛えあげる、という形で彼女は納得させられた。
 だが、リューカの苛立ちはその程度で収まることはない。子供から年寄りまですべての男に武器を持たせ、当て付けのごとく冷徹な特訓を課し続けた。
 とはいえ、彼らとて力仕事のために滞在していたとは限らない。中には商売や技術開発を目的として訪れていた者も少なからずいた。そんな穏やかな男たちにとって、彼女の特訓は拷問に等しい。耐えきれずに次々と逃げだしてゆき、男の数は半分以下になってしまった。
 全員ふるい落としてやるつもりだったが、残念ながらこれ以上無茶を続けていくわけにもいかない。何故なら――もうすぐ秋の収穫祭がやってくる。この忙しい時期に頭数を無駄に疲弊させては本末転倒だ。その上、この村は<グルーフ>によって狙われている。男だけでなく、外からの敵に対しても気を抜くことはできない。
 そして、今年もついに獣たちは現れた。それに気付いた見張りの男が鐘を鳴らして大声で叫ぶ。だが、今年はその様相が少し異なっていた。
「<グリスター>だ! <グリスター>のヤツが来やがった!_!」
 警鐘を聞いてすぐさま飛び出してきたリューカだったが、その名を聞くのは初めてである。何が来ているかは知らないが、この世界にはまだまだ自分らの見たことのない生き物もいるのだろう。
 だったら、先ずは敵情視察だ。自分の目で確認するため見張り台に飛び乗り、男が指差す方を見やると……
「ナンだアリャぁ……!_?」
 リューカは思わず間抜けた声を溢してしまった。豚の化物なら何度も相手をしてきたが……豚の次はカラスか?
 カラスといっても純粋な鳥類ではない。猿とカラスを中途半端に混ぜたような、<グルーフ>以上に化物らしい化物だ。背格好はせいぜい大男くらいだが、背中に生えた翼で空を飛んでいる。それに、右手には槍のような獲物まで携えているようだ。それが……一〇……二〇……弱。あんなのに徒党を組まれては、さすがのリューカでも手に余る。
<グルーフ>が何頭来ようが、彼女は恐れたりしない。的確に群れから中心となる個体を見つけ出して――暗殺。そうやって、リューカはずっと村を護ってきたし、今年も護るつもりだった。
 そして、証明したかった。この村に男なんて必要ないことを。
 だが、相手が空中ではリーダーが判っても容易に首はれない。この戦いは、これまでのようにはいかないだろう。
 リューカは一旦村に戻り、女子たちを安全な場所へと逃がすために一堂に集めた。
 しかし――
「お……おいおい、今日の相手は鳥や鹿じゃないんだぞ!_?」
 弓を携え矢筒を下げた彼女たちに、リューカは思わず呆れ返る。しかし、女たちは一歩も引かない。
「解ってる。だから、こうして来たんだもの」
「私たちだって戦えるよ、リューカ!」
 建前上は、男たちに食肉狩りをする余裕がなくなってきたから――ということになっていた。男だけに訓練を押し付けていては申し訳が立たない……などという理由で、女たちが弓を持つことをリューカが許すはずもないのだから。
「皆さん、出撃いきますよ!」
 ミーネが号令を掛けると、女たちは一斉に外壁へと駆け出していく。
「おっ、おい……やめろ! 怪我するぞ!」
 必死に止めようとするリューカの肩を、ミーネの手がそっと制した。
「それは、貴女も同じでしょう? リューカ」
 ミーネの瞳は、ひどく優しい。それがリューカをさらに混乱させる。
「でも、女のコを護るのがあたしの役目だから――」
「だったら、こんなところでグズグズしているヒマなんてないはずよ」
 それだけ言うと、ミーネの目つきが武人へと変わる。そして、その強い眼差しを外へと向けると、女子弓兵部隊を追っていった。
 ひとり取り残されたリューカに、もう悩んでいる時間はない。出撃ていくあのコたちを護るなら、あたしがもっと前に突撃なきゃダメじゃないか!
 リューカが外壁に着いたとき、既に戦闘は始まっていた。壁の上に横一列に並んだ女子たちは宙を飛び回る敵に向けて一斉に弓を射掛けている。それに対する<グリスター>の反撃は拳大の火の玉だった。
「きゃあああっ!」
「キィァアアァ!」
 女と化物の甲高い悲鳴が交互に木霊する。
 これは、リューカには耐えられない。
 チクショウ……やめてくれ! 女のコを傷つけるなんて、最低だぞ、貴様ら!
 人間の飛び道具に頭上を押さえられ、<グリスター>たちの高度は徐々に下がりつつある。
 斬り込むなら……いましかない!
「男共は出撃ろ! 道を切り拓けェ!_!」
 敵はこれまでにないほど統率的に動いている。ゆえに、指揮官は明らかだった。
 門を開き、矢の雨が止んだ戦場に男たちが一斉に雪崩れ込んでゆく。その様子を慎重に見極めて……リューカが疾走はしる!
「りぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!_!」
 撃ち落とされた死体を飛び越え、立ち塞がる敵を叩き伏せ、一気に指揮官と思われる一頭の喉元に潜り込んだ。
「キィィ!」
<隊長グリスター>は咄嗟に離脱しようと羽ばたかせる。だが、それは弓兵から見れば絶好の――的!
「リューカさん!」
 その呼び声に応じて、リューカは地面に切っ先を突き刺す。それと同時に、ミーネから放たれた矢が敵の羽根を貫いた!
「キァァァァァ!」
 片翼を撃ち抜かれて落下してくる目標に向けて、リューカは両手両脚に渾身の力を込め――
「っらぁぁぁぁぁぁぁっ!_!_!」
 足下を蹴り飛ばしながら、大地をひっくり返さん勢いで刀を振り上げる!
「ガァァァァァァァ!_?」
 強大な反動から繰り出された一閃が描くのは美しい三日月。
 その切っ先に触れた敵の右腕が、弾かれたように千切れ飛ぶ!
 だが……
 その瞬間、リューカは確かに見た。ヤツの目がまだ死んでいないことを。片腕を失いながらも、未だ闘志は燃え尽きていないことを!
 リューカの頭上で<グリスター>の口が開かれ、その中は炎が渦巻いている。だが、それが噴き出される直前――リューカは返す刀で頭を首から斬り離した!
 リューカに緑色の鮮血が降り注ぐ。
 これにより――勝敗は決した。
「キァッ! キァァァ!_!」
 魔物の中の一頭が奇声を上げると、他の者たちも次々に共鳴していく。そして、山の方へと散り散りになりながら逃げ去っていった。
 が、これまでのように逃亡してゆく敵の群れを威嚇している余裕など、今日のリューカにはない。あの様子だと、火傷を負った女子も少なからずいることだろう。手当のような繊細なことは不得手だが、とにかく見舞ってやりたい。
 そう思って門を潜ろうとしたリューカだったが……彼女はそこで足を止める。
 リューカは見たくなかった。男と女が共に抱き合って、勝利を喜び合う姿など。中には白昼堂々人前で唇と唇を密着させている者までいる。
 敵将を討ちったのは自分だ――などと功を誇るつもりはない。だが……浮かれて男とじゃれ合う女たちに何と声を掛けていいのか、リューカには分からなかった。
 勝利の余韻も虚しく、リューカは一人戦場へと引き返していく。自分が斬った敵将の亡骸を弔うために。
 今度の相手からは、これまでと異なり……勝利に対する執念のようなものが感じられた。しかし、戦いはもう終わったのである。いまは、安らかに眠れるよう祈ってやりたい。
 目的の骸はすぐに見つかった。死してなお身体が離れ離れでは辛かろう。リューカは斬り離した頭を拾い上げ、首のところへと寄せてやる。続いて、右腕を手に取ったとき……彼女は信じられないものを見つけてしまった。その手の小指に、魔物に似つかわしくないものが飾られていたのである。
 死体漁りのようなマネはしたくないが、これを看過することはできない。どうにも、それに見覚えがある気がするのだ。そして、手に取って確信する。この指輪は……間違いない……! コイツは――

       ***

 その日の深夜、ミーネの部屋の扉が打ち鳴らされる。こんな時間に何事かと出迎えてみると、その来訪者はリューカだった。しかし、彼女の様子は只事ではない。しっかりとした余所行きの外套に、大きな荷物。リューカがこの村を発とうとしていることは明白だ。
「リューカさん、私たちが勝手なことをしたのは謝ります。ですが、いきなり村を出るだなんて……」
 だが、リューカの決意は堅い。ミーネの言葉には耳を貸さず、自分の用件だけを口にする。
「なぁ、この指輪を見たことがないか?」
 リューカは左手をミーネの前に差し出した。その指に嵌められたリングを見た途端、その顔色が驚きの色に染まっていく。
「これを……一体どこで!_?」
「知っているのか?」
「知りませんよ。知っているはずがありません」
 こんな不思議な色合いの材質を、彼女は見たことがない。リューカの生まれ故郷ではさして珍しくもないチタン製の指輪は、こちらの国では存在すらしていないのだ。
 やっぱりな……とリューカは納得する。
 これは、とある女のコの指輪だ。この世界ではぐれてしまったクラスメイトに贈ったものである。それを魔物が持っていた。ならば、魔物を追っていけば、彼女とも逢えるかもしれない――リューカは、その可能性に賭けたかった。
「この村はあたしがいなくても大丈夫そうだからさ。これからはミーネにまとめていって欲しいんだ」
 突然のことなので、ミーネとしてもすぐには承服しかねる。が、リューカの友への想いを止めることはできそうにない。何より、これからの村の発展を考えると、リューカの男性軽視のやり方では限界が来ているのも事実だった。
「次の長は明日みんなで決めるとして……せめて、村の門までは見送らせて下さい」
「ああ……他のコたちには見つからないようにな」
 リューカはできることならミーネにこの村を導いていって欲しかった。男に反抗して家を飛び出してきた彼女になら、村を安心して任せられる。が、出て行く身としては強くは言えない。次のリーダーの下で、みんなが幸せに暮らしていけると信じるだけだ。
 初めて見るあの<グリスター>とやらがどこから来たのか、ここにいる者は誰も知らない。だが、どこからか持ち込まれたこの手掛かりを、リューカは追わずにはいられなかった。
 行き先も定まらない放浪の旅だとしても、彼女にとって、それだけが唯一残された希望なのだから。

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