その日、私は人の身でありながら、人ではなくなった
 予兆がなかったわけではない。
 しかし、それはあくまで自然災害のようなもの。
 私ひとりの手に負えるものではないから――
 そう決め込んで、見て見ぬ振りをしてきた。
 しかし、いざそのときが来てみると、昨日までの自分を問い質したくなってくる。
 本当に何もできなかったのか、と。
 形振り構わなければ、人であり続けられたのではないか……と。
“人事を尽くして天命を待つ”
 この言葉を未だ人であった頃の私に送りたい。手遅れだけど。
 人としての私は、そこで終わった。
 ゆえに、私の物語は、ここで幕を閉じる。

       A‐1

 勘違いしないでいただきたい。そわそわと挙動不審な僕の様子を。
 信じていただきたい。それが……この公園の公衆トイレが使用禁止になっていることとは一切関係がないことを!
 とはいえ、弁解しようとすればするほど偽りに偽りを重ねることとなり、自らを追い詰めることとなりましょう。ならば、この際誤解していただいても構いません。『便意を催してトイレに駆け込もうとしたものの、肝心のトイレが使用禁止で途方に暮れている』――と。その方が、僕の名誉と引き換えに、我が身の安全は最大限に保証されることでしょうから。
 何故ならば、僕がこれから行おうとしていることは、脱糞騒ぎでは収まらない――下手すれば己の死活にまで及ぶ重大な問題であるからです!
 それでは、この件について説明させていただきましょう。
 先ずは、この制服をご覧頂きたい。勇ましき軍服でございましょう。いわゆるコスプレ衣装――と呼ばれるものではなく、正真正銘本物の現役軍人のものであります。誤解を恐れず申し上げれば、その凛々しい姿に多少の憧れを抱いていた頃が、僕にもありました。
 さて、いまからおよそ一年余り前のことでありましょうか。爆音と共に出没いたしましたこの軍服の集団は、平和ボケした民主主義体制を一斉に侵食し始めたのであります。
 が、そこは平和ボケ故と申しましょうか……誰もが『自分には無関係だろう』と、気にすることなく日々の生活に勤しんでおりました。そして、『これは何かおかしいぞ?』とようやく気が付きました頃には……既にこの有様です。僕も貴方も兵隊さん、みんなで悪しき旧体制を駆逐しましょう、と銃を持たされておりました。
 とはいえ、僕自身は自他共に認める完全平和主義者の草食系男子でありまして、撃つ側としても撃たれる側としても辞退させて頂きたい所存であります。しかし、これに対して明確に遺憾の意を評することは許されません。上官の指示に背く者には体育会系鉄拳制裁が飛んできますのが軍隊という組織なのであります。これは、極めて不条理な組織運営といわざるを得ません! それが軍としての規律なのであります!
 だからこそ――
 任務を放棄し、持ち場を離れるようなことをすれば、それはもう実に面倒な事態になることは容易に想像できましょう。折角今日の今日まで耐え忍び、今夜のセレモニーが終われば晴れて退役の身となるところが、すべて台無しとなってしまいます!
 それでも!
 僕には!
 何としてもやり遂げたいことがあるのです!!
 それは……
 どうしても最後に一目逢っておきたい女性ひとが……!!!
 ――と、ここまで仰々しく力説したのであれば、その相手は将来を約束し合った無二の恋人……と思われるかもしれません。実際、僕としてもそう大見得を切っておきたいところなのですが……その相手は生まれながらの幼馴染と呼ぶべきか、一つ屋根の下で暮らす同居人と呼ぶべきか……正直に申し上げますと、いわゆる“妹”と呼ばれる間柄の相手であります。
 ですが、見方を変えれば、実際に血の繋がりがあるという医学的見地による検証は行なっておりませんから、最大限に拡大解釈すれば“恋人”と呼べないことも――申し訳ありません、この発言はなかったことにしていただきたい。物心ついた時から『兄』と呼び慕ってくれた相手に、いまさら異性としての恋愛感情を抱くことはできそうもありません。
 僕たちは、様々な事情により親を失った子供たちが集められた施設<ニュートラム孤児院>で育ちました。妹であるところホトは、その<孤児院>の名前を取って『ホト・ニュートラム』と名乗っております。
 平時の<孤児院>は、それこそ平和の象徴に相応しい、夢と希望を誇張した子供たちの楽園と呼べる施設でありました。
 しかし……
 例の軍服集団が湧き出しましてからは、状況が一変してしまったのであります。
 この僕が不本意ながら銃を構えるに至りましたのは、ひとえにこの<孤児院>を守るためでありました。とはいえ……僕が<孤児院>を発ちましたところ、孤児最年長者となったのは、妹のホト。<孤児院>という施設は若干一五歳の女子が背負うには些か重すぎるものであります。
 僕も陰ながら協力を惜しまず――結果として、妹をはじめとして、子供たちの命だけは何とか守ることはできました。しかし、健闘も虚しく、妹ら孤児たちの立場は現体制において非常に危ういものとなり――遺憾ながら、今夜のセレモニーの賑わいに乗じて、一時的に船で国外脱出せざるを得ない状況になってしまったのであります。これもすべて、僕の力が至らなかった、ということなのでしょう。
 いずれ再会の日はやってくると信じておりますが、その目処が立つだけの材料にも乏しく……それこそ、今生の別れになるかもしれません。
 ならば、最後に逢って、この度の不手際について謝罪したいと願うのは僕の我儘なのでありましょうか? 我儘なのでありましょうな。親の葬式の出席すら許されないこの軍隊という組織においては。
 しからば僕は、僕自身の我儘を通させていただきましょう!
 最終日ですし!
 お祭りですし!
 建国記念日でありますし!!
 このようなお目出度い日であるなら、多少の粗相も御目溢して頂けるかもしれませんし!!
 こうして、僕の一大決心を預けた壮大な裏ミッションが開始されたのであります!
 そう……僕がこのトイレの前で屹立しているのも、実を申せば裏ミッションの一部――計画は既に進行中なのです。
 今回、<反乱軍>――内戦に勝利したことで<正統政府軍>を名乗っておりますが、彼らの新政府の設立宣言が、本日一九〇〇よりベルジアンコンサートホールにて行われる予定となっております。
 平和な時代では……何やらご高名なアーティストと名乗る肩書きの方が歌って踊って年越しライブを行ったり、暑い季節ともなれば、花火大会なども催され、年中を通してデートスポットになっており――僕には関係する理由は極めて小さいものの図体だけは巨躯な楼閣ではありました。
 が……今回は女性や子供たちの避難場所として調度良かった。如何に反政府を唱えようと、自分たちの正義を示す以上、この建物近辺を戦場とするわけにはまいりません。ゆえに、こうして激しい戦乱の中を無傷で生き残るに至ったのであります。
 本日行われる式典に際し、僕は率先して会場周辺警備の任に立候補いたしました。
 そして、会場付近に怪しげな建造物がある――そう主張したのであります!
 これまでにないほど熱心に!
 敵が潜む可能性がある――と、これ見よがしに!
 それがこの、住宅地の一角に施設された公園のトイレだったのです!!!
 反乱分子が下水道を利用してこのトイレまで接近し、ここを拠点として会場裏手の雑木林から侵入してくるのでは――それが僕の主張でありました。
 これに対する上層部の反応は――
『何でわざわざトイレで地上に出て森を通って行くんだ? 下水道を通ったまま会場まで行くだろ、普通』
 このような議論を経まして、<一応トイレを監視し、異変があったら通報する係>として、この公園に単身専従される身となったのであります。二人一組ツーマンセルが警備の基本であるにも関わらず、その基本からすら外れて単独行動を許されたのですから――

 計 画 通 り で ご ざ い ま す !

 受理はされたのですから、僕の立案に対する扱いの杜撰さ加減に意義を申し立てる余地はありません。基本通り配備された相方をどう言い包めるかについての算段も用意しておりましたが……それすらも不要となったのです。胸を撫で下ろしこそすれ、嘆く要因など何ひとつありません!
 そう何ひとつないのです!!
 そして、僕の真の狙い通り、反乱分子どころか、付近に人通りは全くありません。もうじき何だか判らないがお祭り騒ぎがあるらしい……というときに、こんな公園に遊びに来るほどの公園好きな方はおられないようです。何台か乗用車が通り過ぎていっただけで、歩く人の姿はもう何時間も視認しておりません。
 ここまでくれば、最早障害はなく、滞りなく計画を実行に移すだけであります。密かにこの場を後にして、何くわぬ顔で帰ってくれば万事差し支えないでしょう。
 時刻は一七三〇。定時連絡の時間でございます。
「アーアー、こちら、公園トイレ前。異常ありません!」
 それでは……
 妹との面会がありますので失礼させていただきます。
 次回定時連絡予定時刻に、僕はこの場にはおりませんが――別段何か事件が発生するはずもなく、発生させようとする好事家もおりません。でしたら、同じ発言を行うのに多少場所が異なっていても結果的に何ら変わりはないはずであります。
 そう、それが……身内との邂逅の席上だったとしても。

       B‐1

 うはーん! あたしは何てことをしちゃったんだろーっ!!
 それは、お兄ちゃんとの約束をすっぽかしたこと……ではない! や、それもあるか。でも、それどころではないドデカイことを、あたしはヤッちゃったのだよー!
 何しろこれは……国の未来をどーにかしてしまう大事件なのだからネ!
 あたしはコンサートホールを囲む雑木林の中を全速力で疾走中!
 背中にはあたしよりちょっとだけ年上の美少女を搬送中!
 美少女……とはゆっても、顔形としてはせいぜいあたしの次くらいのプリティさかな。何しろ、あたしには“うさぎみたいで可愛い”と評判の赤い瞳と、真っ白に輝く銀髪があるし。そこらの自称美少女に遅れを取ったりしない!
 服装についても、大差はないよね。背中のコは煌びやかで豪華なドレスに身を包んでいるけど、あたしのメイド服だってフリフリで可愛くいい感じ。つまり、これは方向性、もしくは音楽性の違いなんだよ! むしろ、一部の人種に対しては、あたしの方が高評価を得られるに違いない!
 体型は……ぶっちゃけ油断した。ふわふわしたドレスだったから、中身はスッカスカだろうと高を括って背負ってみたら……しっかり詰まってました。しかも、都合よく胸元にだけ、丸々と。ぐぬぬ、謀ったか!
 ……とはいえ、お互いまだまだ成長期。いまの時点で優劣をつけても意味がない! よってノーカン! ドローゲーム!
 それでも、ただ一つ……濃紺のロングヘアだけは完敗だ。腰まで届きそうなところまで伸ばしながら、この艶やかさを保つのは大変だったろうな。多分、あたしがここまで伸ばしたら、砂漠のタテガミになっちゃうわ。それはそれでカッコイイけど、乙女としてはちょっと違う……
 同じ女として、その努力に免じて美少女ランキングはあたしより一段階だけ上だと認めてもいい。ひとつだけね! ひとつだけだかんね!
 ってことで、あたしは彼女の綺麗な髪が枝葉に絡まないように、ついでに高そうな服や弱そうな肌に傷を作らないよう気をつけながら、この大荷物を担いで突っ走る!
 ところで、この長髪少女。容姿こそちょっとした美少女程度だけど、中身は超普通じゃあない。
 なんと!
 一時間後に新政権とやらの樹立宣言をする予定だったコなのだよ。
 こりゃあ凄いや!
 そんなお方を、あたしが薬で眠らせて、こんなところまで連れてきてしまったってワケ。
 そもそもねー……大の大人が寄って集ってこんな女のコを一人持ち上げて『このコは昔の偉い人の子孫だから、これからは彼女を王女とする国として生まれ変わりましょう!』とか信じられる? とっても胡散臭いよ!
 でも、逆を言えば……このコがいなくなったらあの変態集団の変態式典なんて当然中止。新王国作りの理由もなくなるのだから、あとは勝手に散り散りになってくれるに違いない。それこそあたしたち<民主政府治安維持局>の狙いなのだ! あたしたちはまだ負けてない!
 もしそれでもヤツらが王女を諦めないなら、このコはあたしたちのアジトにご案内して、誠心誠意を込めて説得するつもりだ。王女なんてやめて普通の女のコに戻りなさいー、って。
 部下たちにも解散するように命令しなさいー、って。王女が言うなら、ヤツらも諦めるしかないはずだ。
 ……あ、いや、“誠心誠意”に裏の意味とかないからね!? 怖いことも痛いこともしないよ!? あたしたち正義の味方だかんね!
 ともかく、ヤツらがいなくなってくれれば、彼女もあたしもお互い普通の女のコに戻れる。そしたら、すぐさま家まで送り届けて上げよう。あたしも自分ちに帰るし。
 あたしは生まれてからずっと<孤児院>のお世話になってきた。今回の戦争では、一番のおねーさんとして子どもたちを守らなきゃならなかったんだけど……多分、あたし一人の力では無理だったでしょーね。
 それでも何とかやりきれたのは……マイラブお兄ちゃんの置き手紙のお陰。これには<反乱軍>への対処法や、お金や食べ物の手に入れ方が事細かに書かれてた。お兄ちゃんありがとうーーーっ! 大好きーーーーーっ!
 それまでは敵の目を欺くためにわざわざ女装して、らしさを演出するために慣れない編み物までしながら、あたしたちの<孤児院>に残って守ってきてくれたけど……院長さんがいなくなったところでさすがに難しくなったみたい。男に戻って戦争に行っちゃった。
 でも、そこはお兄ちゃん。時々こっそり戻ってきては、最新情報満載のお手紙を貰っちゃったよ。普段は『メンドイ』ばっかで何もしたがらないけど……いざというときは誰よりも頼りになることをあたしは知ってる。お兄ちゃん素敵ーーーっ! 愛してるーーーーーっ!
 ……だけど今、お兄ちゃんはいない……くすん。
 でも、あたし自身の意志と判断と努力と勇気と根性でこの大作戦をやってのけたんだ! だって、あたし隊長だから! 誰よりも頑張らなきゃいけないから!
 そんなわけで、待ち合わせの公園のトイレにやって来たのだ!
 この公園の前で仲間の車が待ってるから、その車に王女を詰め込んで後はアジトまで一直線……の予定だったんだけど……アレ? 車どころか人っ子ひとりおらんですよ?
 何かあったのかなぁ……マズイなぁ……。王女はしばらく目を覚ましそうにないけど、こんなキラキラしたの背負ってたら、あっという間に見つかっちゃうよ!
 とりあえずあたしはこっそりトイレの裏側に回って、女子トイレ側の窓に手を掛けてみた。うん、鍵は掛かってないみたい。
 あたしは王女を担いだまま窓枠を跨いで、中に誰も居ないことを指差し確認。そこで気づいたのだけど――もし誰かいたらこの時点でアウトだったじゃん! 入る前に確認しなきゃダメじゃん! うあー、もー、あたしダメだわー。焦ってるわー。こんなんじゃまたお兄ちゃんから怒られちゃうよ……えへ♪
 ともかく、いまは王女を隠さないと。
 個室に入ってあたしはマル秘アイテム<リーズナブル手錠>を取り出した! 王女が暴れたときのために用意しといたんだよね~。
 一先ず王女を便座の上に跨がせて、目が覚めても最悪逃げられないように、どっか繋げられそうな場所を探す。手錠というから手に繋ぎたかったけど、手頃な場所が見当たらず……結局足下の排水管と足首を繋ぐことになった。
 それから、外から見えないよう扉を閉めて、内側から鍵を掛けて、ジャンプ一閃! ノーモーションベリーロールで小高い個室の壁をひらりと飛び越えた。これでしばらく大丈夫。
 入ってきた窓から外に出て一息ついたところで……これからどうしよう? 手首の時計を見てみると、お兄ちゃんとの約束の時間はとっくに過ぎていた。いまから行っても間に合わないだろうな……
 ごめんね、お兄ちゃん。でも、きっともうすぐ逢えるから。
 にっくき<反乱政府>が消えてなくなったら、またあの<孤児院>で一緒に暮らせるよ。
 きっと、必ず。

       A‐2

 結論から申し上げますと、僕の人生最大の裏ミッションは、半分は成功いたしました!
 しかし……
 残り半分は失敗した――と認めざるを得ないでしょう。
 ですが、事前準備として、僕は確かに伝えてはいたのです。
 時間厳守であると。
 任務の合間を縫っての非公式な面会なので、スケジュールの変更には応じられない、と。
 にも関わらず……ホトは約束した場所に現れませんでした!
 とはいえ、もし彼女が、面会には出席できなかったものの、無事国外脱出を進めているなら、それは兄として歓迎すべきでしょう。いまは、安息の地を目指す我が妹の航路の無事を願うばかりです。
 ですが……
 彼女と長らく接してきた僕の経験から申し上げますと――ホトはまた、僕の予測し得ない何かをやらかした可能性が非常に高く、極めて危険な状態に陥っていると思われます!
 彼女には、誠に厄介なことですが……困っている人が目に入ると、その相手を自分の手で救ってあげたいと考えるクセがあるようです。それ自体は素晴らしく献身的な行いですし、僕自身も彼女には日頃から世話になっておりました。
 ところが……
 何らかの予想外の事態が降りかかると――とても残念なことに、持ち前の腕力と行動力がすべて裏目に出て、加速度的に正気を失い、誰もが想像すらできない暴挙を犯し、トラブルがそれはもう、無限大に拡散していくのです!
 そして、そのエントロピーを収束させる面倒な役割を負わされるのは……まあ、兄たる僕しかいないわけでして……
 僕は性格的に争いを好みませんし、妹も物騒な事案に手を出して上手くいった前例がありません。僕たちは平穏な時代に慎ましやかに生きる平和主義の兄妹だということを、ホトには理解していただけなかったようです。
 そんな妹の性格を僕自身も熟知しておりますゆえ、何か不都合が生じた際には可及的速やかに連絡するよう常日頃から申してはおりました。ですが、彼女が泣きついてくるのは決まって最終局面なのであります……
 ゆえに、憶測ではありますが……いまは軍規に忠実に持ち場に戻っている場合ではない予感がするのです。何とかしてホトの身柄を捕捉し、何か良からぬことを企てていないか問い質すべきではないでしょうか!?
 そもそも、僕が自ら<反乱軍>に入隊したのは、決して彼らの政治的思想に感銘を受けたからではありません! 他に手立てがなく、本当に仕方なく……だったのです! ですから、軍に言われるがままに、こんな公園のトイレの警備を続けているのは、甚だ不本意なのです! ……この地の警備を主張したのは僕自身ではありますが。
 この場を借りて、入隊理由について、少し釈明させていただきたい。
 僕たちの居住する<孤児院>を含む一帯を支配下においた<反乱軍>は、<孤児院>に対して物資と――取り分け人材の登用を強要してまいりました。
 次から次へと大人たちが連れて行かれる中、一七歳男子という徴兵真っ盛りの僕が終盤まで難を逃れることができたのには訳があるのです。
 女物のブラウスを羽織り、女物のスカートを穿き――いわゆる“女装”と呼ばれる行為でございます。それにより、敵の目を欺いておりました。
 さらには、窓際のロッキングチェアに深く腰掛け、静かに編み物に興じる姿は、まさに絵に描いたような女性そのものだったといえるでしょう。
 なお、編み物についてはあくまで女性的演出であり、特に計画性はなかったため――結果的にマフラー状のものになりました。これは本日ホトに進呈するつもりで持参していたため……さて、どういたしましょうかな。捨てるには惜しい気も致しますし。
 それはさておき、お陰でしばらくは上手く事が進んではおりましたが、皮肉なことに、どうやら僕の女装は完璧すぎたようです。
 骨と皮に髭だけ蓄えた齢七〇の院長が――戦場で何の役に立つのか<反乱軍>の意図するところは不明ですが、その御老体が二人がかりで両脇から抱えて連れて行かれる際に、『そのおじいちゃんで最後ですよ』と(もう来るな)という意味を込めて申し上げたところ……
『そうか、それなら――』
 そう語尾を濁しながら振り向いた際の兵士の目を、僕は生涯忘れることはないでしょう! あれは見紛うことなく――獣の目――でありました!
 ヤツらは僕が男だと判っても絶対に掘る!
 間違いなく掘ると一目で確信しました!
 男として生を受けて、いままで暴漢に怯えるご婦人の恐怖というのを言葉では知っておりましたが――そのときまさに、我が身をもって体感するという貴重な経験を得られたのです。……このような恐怖体験は二度とないことを切に願いますが。
 ともあれ、ここで僕は諦観して女装を解き、次の<反乱軍>来襲の機には男として登用されるに至ったのであります。<孤児院>と<己の尻穴>を死守するために、銃を手にする漢の道を選んだのです!
 ……もっとも、いざ登用されてみると、僕自身のあまりの身体能力の低さにガッカリされたようですが。お陰で報道部という非戦闘部隊に回されたため、実戦で銃を扱う機会はありませんでした。
 しかし、どうやら彼らは僕の忠誠心を見くびっていたようでございます。何しろ、戦況が不利になったら機密情報を手土産に、敵軍に寝返ることも視野に入れていたくらいなのですから。
 幸いそのような事態には陥りませんでしたが、数々の内部情報は掴ませて頂いております。これは、<ニュートラム孤児院>にも多大な恩恵をもたらすこととなりました。
 いまも、即座にこのような軍務など放棄したいところなのですが――少しばかり状況が芳しくないようでして……
 さて、時刻は一八三〇。またしても定期連絡の時間であります。
「アーアー、こちら、公園トイレ前。異常ありません!」
 僕は一字一句違えず業務をこなしており、一七三〇の時点では些かの憂慮もなくこちらの報告を受理していた上官殿から、僕はある種の嫌疑を掛けられているようです。
『先ほどとは打って変わって、今度は随分静かなようだが……本当に公園のトイレ前にいるのか? 異常はないのだろうな?』
 前回の定期連絡時、港町の喧騒の中でもでき得る限り静かな場所を選んだつもりではありましたが……我が軍の無線機殿は思っていたより優秀だったのかもしれません。街の些細なさざめきさえもこぼさず拾い、本部の上官殿の下へと送り届けてしまったと推測されます。細やかな軍のテクノロジーには称賛の意を表しますが、今回においては、もう少したおやかな設計を期待しておりました!
 経緯はともかく――科学の力に屈して真実を開示すると、僕の身辺に夥しい不利益が生じる恐れがあります。ゆえに、前回の報告内容に嘘偽りがない、という前提で虚偽の報告を重ねざるを得ない状況に追い込まれた次第でございます!
「はい、まったく異常などございません。僕はここでずっと見張っておりましたが、何ら変わった様子はありませんでした!」
 これに対するスピーカーからの返答は溜息ひとつ。本当に細やかな息遣いまで取り零すことなく通信できるようです。少しこの機械を見くびっていたと言わざるを得ません。
 お陰で、先ほどに増して後には引けなくなってまいりました。とはいえ、多少の虚偽報告など、現実的な辻褄が合ってしまえば何の問題もないものです。
「そこまで仰るのでしたら、トイレの室内まで確認いたしましょう!」
 入り口には使用禁止の札を立て、ロープまで渡してあるのですから、誰かが入ってきたならすぐに気付く構造になっております。当然、僕が正しく警備していれば、という前提ではありますが。
「はい、異常ありません。無人なのですから、当然個室の扉もすべて開いております!」
 トイレの室内は衛生面からタイル貼りになっており、声を大にして報告する僕の発言を多少反響させているはずです。これをもって、僕が忠実に任務を遂行しているという証明としたかったのですが――
『そこは男子側か? 女子側も念の為に確認しておけ』
 ――などと、僕に反紳士的な調査を要求するではありませんか!
 しかし、自分の身の潔白ならば、中は無人なのだから躊躇する必要などない――それが、上官殿の意向なのでありましょう。
 踏み絵を踏ませるようなやり方に気分を害しながらも、命令なのだから仕方がありません。
 そう自分に言い聞かせてご婦人用のトイレの室内を覗きこんだところ……これは……まさか……いや……しかし……
「ふ、婦人用のスペースも異常なし……個室の扉もすべて……開いて……おります……!?」

       C‐1

 これは夢か――それとも現か――
 理想の夫と婚約の契を結び、いままさに彼の――いや、私たちの新居の敷地に足を踏み入れようとしている。
 夫の顔はぼやけていてよく判らない。だが、それは瑣末事だ。夫の背後に聳え立つ豪邸――それこそが私の悲願なのだから!
 これまでの苦労がようやく報われる……! 感動の一歩を踏みしめた瞬間、私の両足がズブズブと地面の中に――え……何故……?
 足を上げようともがいてみるも、重力の流れに抗うことはできず、掴まれる物も何もない。
 眼に映るすべての景色が、私と一緒に泥の海の中に埋没していく。
 ああ……これが沈んでいくという感覚か……
 何という絶望感だろう。
 膝まで浸かったところでバランスを崩し、黒い水面に両手を突いた。温かさや冷たさ以前に、ぬめりとした感触が気色悪い。だが、手首まで沈み込む頃にはそれも気にならなくなっていた。
 顔を上げると夫の姿は既になく、目の前の豪邸もボロボロと崩れながら土へと還っていく。
 消えてしまう。
 壊れてしまう。
 私の夢が。
 私の世界が。
 私の夢が……
 私……は……――?

       ***

 意識が覚醒していく中で私は身体を揺すられているのを感じていた。肩の動きついていけない頭部がガクガクと振り回される。やめて下さい。死んでしまいます。
「ああ、良かった。お気づきになられましたか、王女陛下!」
 気づきはしたが、どうにも状況が飲み込めない。だが、人は死ぬ間際に自分の過去を走馬灯のように思い出すという。
「……ということで、ここは一つその慣習に倣って、私も自分の過去を走馬灯形式で思い出してみることにしましょうか」
「どういうことか分かりませんが、お気を確かに!」
 まあ、聞いて欲しい。
「私はトリアンタ・フォン・ネイザーラント。フォンなどという貴族っぽいミドルネームのようなものが付くのが無駄にカッコ良さげだけれど、貴族家庭の育ちではないの」
「存じております」
 目の前の男は<新政府軍>の軍服を着ている。知っていて当然か。
「何百年か前にネイザーラント王朝という政権が存在したのは、歴史の授業でやってたわね。我が家の家系を紐解くと、なんと私はその王族の末裔に当たるらしいわ。とはいえ、それは遠い日の話であって、いまではしがない会社員の家庭なのに。それをほじくり返すような真似をして何になるんだか」
「新政権の正当性を示すものとして、分かりやすい旗印必要だったのでしょう」
 この男は王女の目の前で身も蓋もないことをさらっと言い切ってくれる。とはいえ、それを否定する気もない。私も、そう思うし。
「フォンの名はネタ的には面白いのだけど、それをベタに受け取られても困るわ」
 第一、私の夢はお金持ちの家に嫁いで夫の財を牛耳ること。社会的な権力を振るおうなんてさらさら思っていない。
 ましてや旗印などにされてしまえば、私自身が不要な衆目を集めてしまう。表に出る役目は夫に任せて、私はそれを裏から操るだけで充分だ。
「お気持ちはお察ししますが、そろそろ走馬灯ではなく、現実を直視されますよう」
 こちとら生まれてこの方、一八年間一般家庭の娘をしていたのである。それをいきなり王女呼ばわりされたところで、どこからが現実か判らなくもなるのだが。
「ところで、あなたはどこの誰?」
「ライナック・ニュートラム一等兵と申します。この公園のトイレ近辺の警備を担当しております」
 ということは、ここは公園のトイレ?
「ここは女性専用スペースのように見えるのだけど」
「緊急時ゆえご容赦を。何ゆえにこのような状況になっておられるか、ご記憶はございますか?」
 記憶? 走馬灯の続きならば喜んで!
「私の父は貴族ではなかったけれど、一般人としてはそれなりの商才の持ち主でね。若くして小さな商店を立ち上げ、最初は上手くいってたのだけど――」
「そのような古い記憶ではなく、今日の、できれば数時間以内でお願いします」
 それは残念。今日のことだと――
「私は式典で読み上げる予定だった原稿に目を通していたわね」
 勿論、私は内容には関知していない。私は連中に言われるがままに喋るしかないのだ。
「その中身があまりに退屈で、睡魔に襲われてしまったみたい」
 ライナックは何か考え込んでいる。授業中の居眠りみたいなものだと思っているのだろうか。彼だって、あの原稿を読んだら眠くなるに違いない。
 彼の中で思い当たる節があるらしく、確認のために私に問う。
「それに前後して、お食事は摂られましたか?」
「そういえば、紅茶を一杯。見慣れないメイドだったけど、新人かしら?」
「それです!」
「どれです?」
「……もう少し、王女としての自覚を持っていただけませんか?」
 断る。私を勝手に王女として担ぎあげた連中への嫌がらせとして、あえて無自覚に振舞っているのだから。
 彼の視線は、あの連中と同じだ。高貴なる者への憂慮を込めた視線。私が最も嫌う視線。だから、彼に対してもあいつらへと同じように振る舞ってやる。
「貴方の言いたいことは、頭では解るけど、心が受け入れ難いの。何しろ、私はつい先日までごく一般家庭の夢見る乙女だったのだから!」
「つい先日までのことはさておき、このまま王女陛下がここにおられては、本日の式典に支障をきたします」
 私の幸福な日々があっさりとさておかれた。これは死にたくなってくる。頭を揺らされて頚椎骨折なんて嫌だけど。
「いまの私には夢を見ることすら許されないの?」
「夢の続きは式典を無事終えた後に寝室のお布団の中でお願いします。しかし……その式典まで時間がなさすぎる」
 私との会話の途中で、ライナックは深く塞ぎ込んでしまった。
「本営に報告して、指示を仰ぐのが上策ね」
 上意下達が軍隊の基本である。
「いや……その……異常なしと定期連絡してしまった手前、それを覆すのはなかなか難しく……」
“三寸の舌に五尺の身を亡ぼす”
 この言葉を定期連絡中のライナックに送りたい。手遅れだけど。
 さて……
 実のところ、彼の保身に便乗して言わせてもらえば、私も人前になど出たくない。危険以上に面倒くさい。
 そこで私は提案する。
「互いの保身を満たすために、とある妙案を思いついたのだけど」
「……嫌な予感はしますが、お伺いいたします」

 このライナックという青年は、軍服を着ていなければ軍人だと判らないほどの青瓢箪だ。それに、背丈も高い方とはいい難い。この男が銃を構えて戦場を駆けたところで、勝手に蹴躓いて自滅してしまいそうだ。
 彼には、司令官室で壁面の電光パネルのデジタル表示を分厚い眼鏡に映しつつ、鼻の頭を時折中指で持ち上げては『指揮官殿、それは非論理的です』などと口を出しては、指揮官殿に物凄く嫌な顔をされるイメージの方がしっくりくる。眼鏡を掛けていないのが実に残念だ。
 彼の髪は長さこそ襟まで届く程度だが、髪の色も質も、日頃から大切に手を入れている私の長髪とよく似ている。このまま伸ばし続けたら、私と同じような髪になるのだろうか。そう思うと、彼が男として生を受けてしまったことが実に勿体ない。
 男としては恵まれない容姿の彼だが、今回はそれが役に立つ。私のいう妙案とは、ここを動けない私に代わって、私の服を着てそのまま式典に出席してもらうことなのだから。
 だが、私の非の打ち所のない素敵な計画に対して、ライナックはあまり乗り気ではないようだ。
「しかし、こうも髪の長さが違うのでは……」
 この髪は、ある意味私のトレードマークであり、チャームポイントであり、アイデンティティといえなくもない。ならば、逆にこれを持つ者こそが私といっても過言ではなかろう。
 私はスカート裏のポケットからポーチを取り出し、その中の鋏を手に取る。もう一方の手で後ろ髪を襟元で束ねて、一思いにバッサリ断ち切ってやった。これをライナックの後ろ髪に括りつければ、いよいよ女装は完璧である。
 ライナックは、私の断髪を決意の表れと見たらしい。
「……了解致しました。では、陛下が着替え終わるまで個室の外で待っておりますので……」
 それ以上反論することなく背を向けると、ノロノロと自分の軍服を脱ぎ始めた。
 軍服の中はどうなっているのか少し気になったが――どうやら普通のシャツらしい。なので、すぐに興味を失った。
 それにしても、繋がれたのが足首で助かる。さすがにショーツは鎖が邪魔で脱げないが、それ以外は肩口を通してすべて脱ぐことが出来た。形状がワンピースだったのも好都合だったといえよう。
 私がすべての衣装を脱いで纏めたときには、彼は一足先にパンツ一丁になっていた。一向にこちらを向く様子は見られない。身の丈以上に紳士ぶっているのか、股間がこちらを向けない状況になっているのか――それは判らないが……まあ、似たようなものか。
 彼は背中越しに私の服を受け取ると、入れ違いに彼自身の服を私に差し出してきた。
 何のつもりか解らないが、とりあえず受け取って、そのまま個室奥のタンクの上に置いておく。
 彼はちゃんと女物の服を着れるだろうか? 念のため、しばらく着替えの様子を見守ることにしよう。
 彼は、私の服の束の一番上にあった下着を手に取る。初めて身に着けるそれを、男である彼はきちんと装着することができるだろうか。背中で留めるのに慣れないうちは、前で留めた後に後ろに回すのがポイントである。
 ライナックは不思議そうに私のブラを眺めていたが、突如硬直。
 そして――
「これは必要ありませんから!」
 紫のブラが宙を舞う。後ろ手に放られた美しい布地は必要以上に天井間近まで高々と放物線を描き、そのまま私をも飛び越えて――!
 トイレの床に落とした下着は着たくはないので、慌てて手を伸ばして舞い降りてくるブラを空中で掴み取った。ノーコンにも程がある。
 やはり彼は戦場では役立たずだったのだ。それで、こんな公園のトイレなどの警備に回されたに違いない。
 返却されたブラを着け、彼が着替えている間――開け放たれたままの個室の扉に寄りかかり、我が身から切り離されたかつてのアイデンティティを眺めていた。
 私の夢のために有用だった長い髪。永い間大切にしてきたものだが、意外なほど感傷はない。夢を失った今、文字通り無用の長物なのだから。
 そこに、ライナックの準備がようやく完了。
「陛下、こちらの着替えは終わりましたが――」
 そんなものは見れば判る。スカートの裾を翻しながら振り向く姿は、どこからどう見ても『男の娘』だ。
「って、服を着てください!」
 ライナックは条件反射の高速反転で再び私に背を向ける。
「服を着ろとは失敬ね。下着は服として認めないというの? 日々品質の向上に努める下着メーカーの開発者たちに謝りなさい!」
「僕の服を渡したじゃないですか!」
「こんな汗臭そうな作業着に私の柔肌を通せと? それはご免蒙るわ」
 時間がないというのに面倒くさい。ライナックには目を閉じさせたまま、彼の顔にそれっぽく化粧を施す。他人の顔を弄るのは初めてだが、鏡の中に手を突っ込んでいると思えばどうということはない。
 男の顔に興味はないが、ここまで私の顔に似せられるのであれば、美形の部類に含まれるのではなかろうか。男に生を受けたことがいよいよ勿体ない。
 最後に、彼の襟足に私のものだった長髪をゴムで結びつけ、その上からポーチの中に入っていたリボンで繋ぎ目を覆い隠せば完璧だ。どこからどう見ても王女様だ。むしろ、私より王女に相応しいとさえ思える。
「このまま僕に王女を押し付けたりは……しませんよね?」
「今後も臨時雇用の影武者程度には期待しているわ。そのまま影が本人に成り代わっても構わないわよ?」
 使い古されたレトリックではあるが、私としてはむしろ歓迎したい。喜んでこの地位を明け渡そう。
「それは謹んで辞退させていただきます。早めに戻りますから……どうかご無事で!」
 私のことは気にしなくていい――という返事を聞く間もなく、ライナックはトイレから飛び出していった。
 時間さえ許せばこんな手錠など、マイヘアピン一つで開錠できる。そうしたら、その後のことはライナックに任せて、私は適当に逃げるつもりだ。
 頑張れ、トイレの警備担当改め――新政権の王女陛下よ!

       A‐3

 時刻は一九一五。現在僕は、既に開始された式典の壇上の袖の中で自分の出番まで待機を余儀なくされております。不本意ながら女装自体は慣れたものではありますが――このような形で自分の女子力を計られようとは。しかも、会場の参列者からの信認を得られなければ、おそらく僕は明日の朝日を拝むことはできない、という状況なのであります!
 王女陛下にお待ちいただいたトイレからの最短距離となる会場裏手の雑木林を通って会場に到着した際に、先ず所望したのは工具でした。勿論、陛下を拘束から開放するためのものです。
 目的を達成できそうな機器はすんなり手に入りました。ならばすぐさま陛下の下に戻り、本人を開放した後来場していただくのが最善の策ではありましたが――そこまでは叶わなかったようです。<反乱政府>の警備兵に発見されてしまい、『こんなところにおられましたか!』と、この場まで連れて来られてしまいました。
 お目付け役と思われる女中から押し付けられたのは、着飾るための金銀宝石。
 壮年の男性から押し付けられたのは、原稿用紙一〇枚程度の演説文。
 装飾品と違い、原稿は逐一目を通さねばならないのが面倒なことこの上ありませんでしたが、記憶することに苦はありませんでした。まだ学校が機能していた頃、すべての筆記試験を一夜漬けで乗り越えてきた実績が、このような機会で役に立ったのです。暗記重視の教育方針には賛否両論ありますが、少なくとも今回の件は有益であることを指し示す一例となるでしょう。
 しかし、丸暗記という形で記憶はしましたが――その内容は、前時代的というか、常軌を逸しているというか……誤解を恐れずに申し上げれば、いわゆる“牽強付会”と評さざるを得ません!
『優良種たる<ネイザーラント王家>の末裔と、その意思を代弁する<正統政府>によって、<王家を信奉する民衆>のために自由と平等を約束する』とは何と傲慢な選民意識でしょうか! 近代国家において、自由と平等はすべての臣民に対して平等に保証されなくてはならないものです。
 しかも、その血統を現世まで引き継ぐのはトリアンタ王女ただ一人。陛下の御身に何かが起これば、代弁を要する発言主さえ存在しなくなる砂上の楼閣ではありませんか!
 もっとも、王女本人は幽閉され、彼女の言葉と称して<政府>の重役が思いのままに権力を振るうつもりであることは、“その意思を代弁する<正統政府>によって”の一文からも明白であります。
 僕は報道部という立場から、戦況については随時監視してまいりました。<反乱政府>の上層部は自称ネイザーラント遠縁の政治屋とも呼べない思想家集団ではありましたが――実働的なところとは切り離されていたようです。実に合理的な作戦立案及び正確無比な部隊運用であり、これには相応の信頼を置いておりました。おそらく、烏合の衆の中にも一部優秀な方もおられたのでしょう。指令は組織名義で下されるため、具体的にどなたが中核かまでは存じ上げませんが、その方を中心として<旧政府>よりは無駄のない為政を敷くかもしれない――と楽観的に構えておりました。ですが、勝利が確定すると共に馬脚を現したようであります!
 僕は報道部に所属しておりました間、あえてノンポリを貫いてまいりました。軍部にとって都合の悪い情報は聞かなかったフリを決め込み、言われたことを、言われたように報じてまいりました。これは、軍の中で自分の身を守るための一つの処世術だったのであります。
 しかし……
 これは大きな誤りでありました!!
 君子危うきに近寄らず――その諺通りに権力闘争渦巻く立法部に触れてこなかったため、そこに極大の地雷が潜んでいることに気づけなかったのです!
 誠に遺憾ながら、僕自身の油断であり、怠慢だったといえましょう!
 このような恐怖政治を企てていることを察知していたなら、戦況に関わらず<孤児院>の子供たちと共にいち早く国外に脱出しておりました!
 この政府に常識的な統治は期待できません。<政府>にとって都合の悪い人間に対しては極めて主観的な基準で王家への不敬の罪を着せ、自由と平等を剥奪し、徹底的に弾圧するという予告が、この宣言文には散りばめられているのです!
 政治に興味を持たない民衆たちは、自分には関係のない他人事だ――そう高みの見物を決め込んでおられるようですが、とんでもないことです! 上ばかり拝んでいるうちに足下から切り崩されてゆき、圧政の手が自分の足首に掴みかかろうとしていることにも気付こうともしていないではありませんか! 気づいたときにはもう遅いというのに!
 曖昧な規制は人々の間に『次は自分かもしれない』という不安を植え付け、隣人に陥れられることへの恐怖となり、それはみるみる国中に伝搬してゆくことでしょう。国民は、疑心暗鬼なまま分裂させられ、恐怖によって支配されることとなるのです!
 そんな恐怖政治の開幕宣言が行われようとしていることを、ここに集っている観衆たちは知らないのです!
 知ろうともしないのです!
 皆一様に純真無垢な笑顔を浮かべ、新たな政府は自分たちにどんな幸福をもたらしてくれるのか――まるで物見遊山に訪れた無責任なお客様ではありませんか!
 僕の手の中にある恐怖宣言の伏線ともなる『ネイザーラント王朝が如何に優れていたか』という前説が今とくとくと行われているというのに!
『政府が新しくなろうが、誰が執り行おうが、自分たちの生活は変わらない。ようやくドンパチが終わって良かった良かった』――そんな呑気なことを考えておられるのではないでしょうか。恥ずかしながら……この僕もほんの少し前――この原稿を手にするまではそうだったのですから。
 しかし、いまとなってはもう、彼らと同じ気持ちでこの国の将来を展望することはできません! 恐怖が国中を埋め尽くす前に、一刻も早く国外脱出の算段を立てなくてはならないでしょう!
 とはいえ……
 この式典で僕の正体が衆目に晒されれば、亡命どころではありません。ここは一先ず穏便に済ませて、速やかに王女陛下と合流するのが上策と思われます。代理演説を成功させて、御身を無事救いだせば、さぞ喜ばれるはずです。陛下とのコネクションは後日の亡命の際には必ずや有力な道標となるでしょう。
 いま、この会場には国中から一万をも超える一般市民が詰めかけ、希望に目を輝かせております。代理という立場でさえ軽く目眩を覚えるこの数の群衆を、かつてのネイザーラント王朝の王女は代々一人で背負ってきたというのだから、敬服の念を禁じえません。
 ネイザーラントの一族の女性は、独特の遺伝子によって極めて優秀な知能を持っており――国民は彼女らの統治によって、局所的な小競り合いはあったものの、大勢的には安定した生活を送っていた……と複数の歴史的文献に記録されております。
 ちなみに、男児が誕生することもあったはずなのですが……それについては一切公式記録が残っておりません。ある説によると、しきたりに従い生誕と同時に、良くて里子に出されたり、情勢が悪ければ抹殺されていたという噂も……。これはあくまで口伝であり、憶測の域を出ませんので、恐れ多いことは申し上げられませんが。
 ともかく、そのような女系国家を築いてきたネイザーラント王朝でしたが、八代目の王女であったウーリー・フォン・ネイザーラント陛下は、その聡明さ故に何かを悟り、突如政権の座から退いてしまった――とのことです。
 その際、ウーリー王女は<議会>を開き、これまでのように王家が世襲していくのではなく、国民からの投票によって選ばれた<代議士>が国の<法律>を作っていくよう言い残した、と伝えられます。すべての国民に間接的ながらも政治に参加する機会を設けようとしたものと思われます。
 また、それと同時に<憲法>も制定されました。これは、<代議士>の暴走を防ぐためのルールであり、<代議士>は<憲法>の枠内でしか<法>を作ってはならない、と定めたとされています。
 ところが、残念なことに、ウーリー王女の思惑とは裏腹に、民衆は政治的問題が発生する度に『自分は悪くない! 悪いのはすべて強欲な<代議士>だ!』と自ら票を投じた<代議士>に全責任を転嫁したのです。
 一方の<憲法>も、大昔に定められた時代錯誤な規則に縛られては発展はない、と<議会>で自由に<憲法>を改定して良い法案を通してしまいました。
<議会>を開いたものの、ほとんどの国民に政治に参加する意思はなく、<憲法>も形骸化し――そう考えれば<旧政府>は一度初心に帰るべきだったのかもしれません。とはいえ、代わりに現れたのが……言い方は悪いかもしれませんが、独裁と偏見に満ちたキチガイ血統主義政府では、ウーリー王女も草葉の陰で死ぬに死に切れない想いを抱いていることでしょう。
 しかし、王女代理に過ぎない僕にはどうすることもできません。為す術もないまま――本当に僕の出番がやってきてしまいそうです。
 最終確認は演説内容ではなく、会場の警備状況の方であります。陛下の身代わりとなって撃たれるのは、それはそれで遠慮したいところですので。
 舞台裏から覗ける小窓で客席の様子を伺うと――やれ、一階席から二階席に至るまで満員御礼でございます。一〇以上あるホール外への出入り口には、各扉両脇に二人ずつの警備兵が。ここからの凶行であれば、即座に取り押さえることができるでしょう。
 となれば、残る可能性は舞台裏か、もしくは既に観客の中に混ざっているか――くらいと思われます。
 少し気になって客席最前列に目を落とすと、立ち見でごった返している中に、いまさら割り込もうとしている方がおられるようです。単に見やすい位置で王女陛下の姿を拝見したい、という世俗的な目的でしたら構わないのですが――そこが丁度壇に上がるための階段の前、というのが何とも不安を掻き立てられます。一応舞台下の両脇にも衛兵は配備されてはおりますが警戒するに越したことはないでしょう。
 嫌な予感も払拭できぬまま、ついに僕の演説の番がやってきてしまいました。司会進行から呼ばれて、王女らしく、しずしずと民衆の前に自分の女装姿を晒しております。いまのところ、性別の不一致に気づく者はないようです。
 何事もなければ、と祈るように先ほど揉めていたあたりに目をやると、いざこざの張本人と目が合いました。そして、どうやらそれが引き金となってしまったようで、彼は衛兵が気付くより先に僕に向かって群衆の中から躍り出て――!

 ……ああ、僕はここから生きて陛下の下に帰れるのでしょうか……?

       B‐2

 ぎこはにゃーん!? ナニがDoしてこーなったー!!?
 あたしはメイド服のままマニアック徒競走を繰り広げております! ゴール地点は公園のトイレ! 王女の監禁っぷりをこの目で確認するために!
 今回の起死回生の逆転計画は、隊長として『お兄ちゃんならどうするだろう』とあたしなりに一生懸命頑張って考えてみたけど……うーん、やっぱり無理だったみたい。でも、しゃーないっちゃーしゃーない。あたしがダメなんじゃない。マイラブお兄ちゃんが凄すぎるんだもんよ!
 素敵なお兄ちゃんは、今回の戦争の様子をテレビで見ながら、これから起こることを次々と的中させていった。次は誰が暗殺される、とか、今度はここが占拠される、とか、その的中率はまさに預言者!
 っつーか、その予言パワーを食卓のテレビの前でなくて、<政府>の中で発揮してたら、そもそも内戦自体起こんなかったんじゃないか、って思えるよ!
『彼らは合理的に動いているだけだよ。それに、何が起こるか予想できても、政治力がないと組織内では発言を取り上げてもらえないものだし』
 と、マイラブお兄ちゃんは言ってたけど、あたしの愛するお兄ちゃんなら、その政治力すらも何とかできるに違いない、と信じていた。
<孤児院>という器は偉大なるお兄ちゃんには小さすぎる!
 ……だのに、本当に“いざ”というときにしか動こうとしない。
 動いてくれない。
 あふれんばかりの素敵パワーを持て余して毎日ゴロゴロ呆けるばかり。何に対してもメンドイ、メンドイ、と万事やる気がなさすぎる。
 マイラブお兄ちゃんの素敵知能――略してラヴ脳と、プリティあたしの素敵行動力――略してプリティファイティングスピリッツが、素敵な愛によってヘブンリィドッキングしたとき――この世で困ってるすべての悩める仔兎たちを救うことができるのに! あたしたちは、時代はまさに世紀末! ってときにこそサンゼンと輝く希望の光になれる兄妹なのだ!
 ……残念なことに、時代はまさに内戦状態だったにも関わらず、お兄ちゃんは断固として自分の宿命に気付こうとしなかった。人間、自分のことが一番解からないものだというけど、さすがのお兄ちゃんも人間だったということね。でも大丈夫、お兄ちゃんのことは、お兄ちゃんを世界一愛するあたしが世界一理解してるから!
 とはいえ……
 例えお兄ちゃんのことを宇宙一理解してても、おにいちゃんのようにアレコレ考えられたりはしない。
 むしろ、足下にも及ばない。
 今回の作戦はどこで間違っちゃったんだろ?
 お兄ちゃんが絶対に失敗できない仕事に臨むとき、もしものために二重三重、時には四重の極みを用意していた。
 あたしにそんな複雑怪奇な作戦を立てるのなんて無理だし、もし立てられても頭が追っつかないだろうから……とりあえず二重で勘弁してもらったわーっ!
 王女誘拐の準備を整えつつ、<治安維持局>の仲間たちに一般参加者の中に紛れてもらっておいた。
 あたしが誘拐コンプリートボックスなら万事オールグリーン!
 レッドオーシャンで王女が壇上に登場してしまったら、隠し持っていたスタングレネードを一斉に爆発させてもらう手筈!
 スタングレネード――それは物凄い爆音と閃光を放つものの何も傷つけない人にも自然にも優しい平和的兵器であるっ!
 これで会場を混乱させて、その隙に漢らしく直接王女を攫ってしまおう――というのが今回の超作戦の全貌なのだ!
 王女が『新しい政府がぁ~……はーじまーるおー!』と宣言してしまったら、名実ともにあたしら反逆者だけど、それまでなら一応<前の政府>の統治下だから、正義はあたしたちにある! ……らしい。何か騙されてる気もするけど、<治安維持局>で一番物知りなセーブルがゆってたんだから、多分そうなんだろう。うん。

 さてさて。
 王女をトイレに隠した後、プリティメイド服――略してプリ服のまま予定の車を探して街中をフラフラしてたけど、突然会場の方から大爆音。これにはスワーっと青褪めた! 会場組による大襲撃トラップカードは手札から王女を壇上に召喚しないと発動しないルールテキストなんだから。これは、王女がトイレから逃げて、会場まで戻っちゃったってことじゃんかよーっ!
 信じれんりん! 信じれーーーんっ!
 確認してどーすんだ、ってのはあるけど、あたしは兎にも角にもトイレに戻ってみることにした!
 到着するや否やすぐさまさっきと同じように建物の背後に滑りこみ、さっきと同じように鍵が掛かっていないことを確認した。そして、学習及び成長するあたしは室内に飛び込む前に中の様子をチェックする!
 さて、突然ですが……ここで間違い探しクーイズ!
 Q『プリティなホっちゃんがここを発つ前と比べて、違うところはありますか?』
 A「そんなの簡単! 王女を閉じ込めといたはずの扉が開いておりまする!」
 って、ダメじゃんよー!! 誰だ勝手に開けた奴はーっ!!! って王女本人の他に誰がおる!? やっぱ逃げられてたんだ! 鎖まで繋いどいたのに! どんなマジシャンよ!
「あら、お客様?」
 頭を抱えて悶えていたあたしを出迎えるように、逃げたはずの王女が個室の中からひょいと顔を出してきた。
 ……ギリギリセーッフ!? いや、目覚めてるからアウト!? 何だかよく判らんけど、ともかく窓枠を飛び越えて、たたらを踏みながらトイレに降り立ちました。
 さて、ここで……
「間違い探しクーイズ第二弾! 正解は一箇所!」
 一箇所……? 一箇所、って言っちゃっていいの? コレ……
 へ…………
「ヘンタイだーーーーーーーーー!!!」
 という絶叫に対して、間違った王女様は、
「正解は、髪が短い……でした♪」
 と模範解答を示す。いや、違うでしょー! 何てカッコしてんのよアンターーーー!! 同じ女として理解できヌーッ!!!
「トイレで手錠で下着一丁とか……ドコのマニアご用たしよ!」
 トイレだけに!
 ……ドヤァ!!
「上手いこと言ったつもりかもしれないけど、トイレと手錠は私の趣味じゃないわ」
 抜いだのは趣味か。
「てか、服はどうしたよ、この露出狂」
「ワケあってちょっと貸出中。レンタル料は<新政府樹立宣言式典>主賓としての出席権」
 露出狂について黙認したことに一抹の不安を覚えつつ――会場のみんなの方が偽物に騙されてしまったことが、隊長として心配だ。危険を犯して捕まえたのが偽物だなんて、知ったらみんな超ショックだよ!
「ハイテンションなところ恐縮だけど……貴女、さっきあたしに紅茶を淹れてくれた新人のメイドさんよね。今度は何をご馳走してくれるのかしら?」
 ぐげげ! やっぱあたしの犯行だって丸バレだよ! こうなったら――
「安眠紅茶の次は、やっぱり永眠珈琲かしらね?」
「いやいやいや、殺しませんて! だってあたしら……正義の味方だから!」
 ズバーン!!
 あたしの背中に後光が差す! 気分的に!
「殊勝な心掛けね。私の服を着ていった軍人さんとは大違いだわ」
 軍人……? そういえば、王女が腰掛ける便座の後ろに据えられたタンクの上に、大雑把に畳まれたカーキ色の服の束がある。おそらく、軍服一式なんでしょう。
「何でその服着ないの? 痴女なの? 死ぬの?」
「こんな汗臭そうなのを着るくらいなら下着のほうがマシよ!」
 気持ちはちょびっと解らないこともない。てか、こんな漢臭の塊みたいのを着てた中身が、あの王女のキラキラドレスを着て晴れの舞台に?
 ……ないわぁー!!
 そんなドレッシングマッチョがのっしのっし現れたら、さすがの会場組だってドン引きだわさ。
 世界を股にかけるプロの女スパイが仮の姿として軍服を着て現れて、ここで着替えてったって方がまだ自然だ。ビシっとした女軍人……ふむ、ちょっとカッコイイ。
 と、ここであたしは――
「素敵なこと閃いたーーーっ!!!」
 着ていたエプロンドレスをスポーンと脱ぎ捨てる!
「……貴女、何かに目覚めたの?」
 そんな風に眉をひそめる前に、自分の格好を再確認し給いよ……
 スカートまで脱ぎ落として、下着姿で向かい合う女子が二人。
 歳も大して違わないはず。
 それなのに……何だろう? この差は。
 さっきまで両者の戦力差はロンゲストヘアーにあると確信しておったのに、髪を短くした今でもその差が一向に埋まっている気がしない。
「……はっ! ブランド!? 高級ブランドから醸し出される品格の違い!? それとも寄せて上げれば肉薄できるんかっ!?」
 むむぅ、納得できん! 互いの身体を何度も見比べてみるが、同性同年代の体つきとは思えヌ!
「“誰しも配られたカードで勝負するしかない”この言葉を今の貴女に送るわ。手遅れだけど」
 手遅れゆわれたーーーッ!
 駄菓子菓子……圧倒的なボリュームの前に何も言い返せず、あたしは膝を屈する。この王女は……なんて残酷なワガママボディなんだ……!
「キ……貴様の血は何色だ……っ!」
「王家色。知らなかった?」
 噂には聞いていたが、高貴なる一族の血統とやらは、その血の色からして違うらしい。軽く泣きたくなってきた。
「お目々が真っ赤ね。泣きたいときには泣いていいのよ?」
 うるさい。瞳の紅さは生まれつきだ。
 あたしたちのアジトまで連れて行ったら、その二つの豊満肉饅頭を千切れんばかりに揉みしだいてやろう、と復讐を誓いつつ――いまはそっちに用はない。用があるのは……こっちだ!
「まさか、それ着るの?」
 おうさ! 着るさ! 彼女の背後鎮座している軍服一式……をねっ!!
 男物だけに一回り大きめだが、裾を捲り上げればメイド服よりむしろ動きやすい。何より、これであたしはどこから見ても<反乱軍>兵士。奴らの中でも自由に動けるだろう。軍用車を拝借することもできるだろうし、会場で何が起きているかを探ることもできる。置き忘れてくれたスタイリッシュスパイウーメンに感謝多謝!
「持ち主よりもお似合いね」
「んん~? スタイリッシュ?」
「ええ、よっぽど男らしいという意味で」
 ……イラッ。この王女、自分の立場を解ってるのかね。あたしが鍵を外さない限り、ここで下着姿のまま一生用を足し続けることになるというのに!
 鍵を……鍵……?
「……間違い探し、クイズー……」
「テンション低いわね」
 さすがにちょっと疲れてきたよ……
「時に王女様、わたくしめの手錠の鍵穴に刺さっているこの金属の棒は一体なんでございましょう?」
「正解はヘアピン。男よりも漢らしい貴女には無縁なものだったかしら?」
 ブン殴ってもよかですか? いつまで男子ネタ引っ張るつもりよ!
 もういいっしょ!
 泣くよ!?
「ふたつあればどっちか外せると思ったんだけどね。意外と難しかったわ。知恵の輪は得意なんだけど」
 なるほど、同じ輪っかだしね……って一緒にすんな! 屈みこんでヘアピンを抜こうとしたら、ポロリと転がり落ちた奥で破片が完全に詰まってるし! もう鍵自体刺さんないじゃんどーするつもりよ!
「少しは大人しくできないんかね……?」
 あ、ちょっと泣いちゃったかも。
「それは無理な相談ね。ほら、好奇心旺盛なお年頃だから」
 じゃあもういいよ。仕方ないね。こーなったら実力行使だ!
「え!? ちょっ! 何する気!!?」
「ほらほらほらっ! はーいバンザイしてー!」
 いま縛れるものってこれくらいしかないもんねー! 彼女のブラジャーを剥ぎ取って、背中の後ろで合わせた両腕をガッツリ縛ってやったわ! これでもう余計なことはできまいて!
「痛い。血が止まる。痕が残る。これはやりすぎ」
 割りとシリアスに主張しているが、その主張も物理的に止めておきたい。何か口を塞げるものは……? あのメイド服は証拠になるから早々に処分したいしなぁ……
 着ている軍服に何か入ってないかポケットをポフポフやっていると、ひとつだけモフっとした感触があった。取り出してみると……
「あら? 毛糸のタオル?」
 いや、マフラーでしょ。何か細めで、初心者が作ったみたいでガタガタだけど、一応襟元に巻くことくらいはできそうだ。
「これは、王女様へのプレゼントだよ!」
「やっ! そんなのいらな――むほっ!?」
 反論を許さず、口を塞いでそのまま後頭部で結ぶ。これで彼女の声は外に届かない。
「そんじゃ、黙って待っててねー! アデュぅーーーっ!!」
 うーうーと言葉にならない王女の唸り声に見送られながら、ひらりと窓枠を乗り越えた。勿論、自分で着てきたメイド服も忘れずに。一先ずこの場はこれで安泰だ。
 それにしても……あーーーーーもーーーーーーーっ!!
 約束の車は来ないし!
 手錠の鍵は壊されるし!
 何でこう想定外のことばっか起こるんよー!!
 ……呪われてんのかな、あたし……
 我が身の不幸を嘆いても仕方がない。これ以上王女を放置しておくのは一秒単位で状況が悪化しそうだから、一刻も早く車を用意しないと。
 しかし、車を用意できたとしても、男どもには彼女は任せられない。あたし自身が迎えに行ってあげるのが、せめてもの情け……だよね。
 心配しないで。さっきの眼福は、あたしの胸だけにそっと仕舞っておくからさ!

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