今夜二〇〇〇、祖国を蝕む毒虫の駆除に参る。
善なる者に手出しはしない。
自覚のある者は己の所業を悔やみながら地獄へ堕ちよ。

憂國正義連盟

       A-1

 権力の集う場所には決まって揉め事が起きるものです。それは、シャレでもなく冗談でもなく、ましてや宇宙からの電波を受け取った方々の妄想的な陰謀論ですらありません。本当に人のひとりやふたり、いつの間にか存在が消されてしまう――そんな正体不明の失踪事件が幾度となく繰り返されてまいりました。
 だというのに、今まさに僕は、黒塗りの車両に乗せられて、その『権力の集う場所』に向かっております。
 向かわされております。
 向かわないと、秘書のアモン嬢が怒るからです。
 彼女を怒らせると怖いのです。
 とはいえ……我が家へと逃げ帰るのもまた怖いです。そこでは、王女陛下が渋い顔で待ち構えているでしょうから。
 本来、今日は一日ゆっくりと過ごすつもりでした。新年が明けてまだ二日目ともなれば、開いている店舗もあまりありませんし。だというのに、そこに急遽このような予定が差し込まれてしまったのです。
 さらに不安を掻き立てられるのが、一緒に置いてきてしまった妹の存在です。放っておくと、あのコはロクなことをしません。一応、余計なことはせずに大人しくしているよう言いつけてはおきましたが……するでしょうね、多分。はぁ……いまから気が重いです。
 このように、僕は非常に臆病者であります。
 国家間の鍔迫り合いを前にして、身内の不始末を心配する小者であります。
 このような、防弾処理をも要する車に揺られるほどの器ではありません。
 なのに、そんな僕がどうしてこのような会合に関わらなくてはならないか、と申しますと――残念なことに、それが仕事だからです。
 <ネイザーラント王国>は一度滅び、解体されてしまいました。王女もその血筋だけを残して放り出され――政治利用を企む者――はたまた、その存在自体を憎む者――様々な逆賊に狙われ、このままではご存命すら危ぶまれます。
 なので、数少ない支持者と共に御身をお守りし、陛下を中心に混沌とした王国の中に秩序を敷き、安全を確保するためにアレやコレやと敵対勢力との交渉を続けてまいりました結果――いつの間にか、内政から軍事、外交まで一手に担う宰相、という立場に引き上げられておりました!
 とはいえ、僕は本来小心者であります。
 このような堅苦しいスーツなどではなく、緩い寝間着でゴロゴロしている方がお似合いな男です。
 それが、国家崩壊の原因ともなった内戦の折に王女陛下と接触してしまったばかりに……すっかり人生設計が狂ってしまいました。
 とはいえ、内戦が収まってからまだ一年も経っておりません。情勢は落ち着いたというより、泡沫諸侯が事実上吸収されたに等しく、三大勢力が牽制しあっているだけです。こんな危ういことでは安心してゴロゴロもしていられないので……未来の惰眠のために、日々尽力している次第です。
 目下、残る二大勢力・<チェスナット>と<ジャージィ>とも許容できる折衝点を見出して融和し、分裂前の<ネイザーラント領>を復権させ、君主制から民主政へと回帰させることで――ようやくすべてが元に戻るのです。さすれば、僕の肩からも過ぎた重荷は下ろされることでしょう。
 とはいえ、世の中には好んでこんな鉄火場に首を突っ込みたがる勇敢な方もおられるようでして。
「いやぁ~、各地の大物たちの集う新年会とは、人脈を広げる絶好の機会! 願わくはワタクシめも参列させて頂きたいものですなァ!」
 ハンドルを握りながらルームミラー越しにチラチラとこちらの顔色を窺ってくる壮齢の男性は、チェッカード・アグーチ殿であります。彼はアグーチグループという一大商会の重鎮であり、本来このようなドライバーの真似事に興じる身分ではありません。
 ただ、スケジュール上の僕は休職中であり、官邸の運転手たちも同様に休暇を採っておりまして。
 何より、できればこの会合には密かに参列したい旨もあったため……信頼できる筋に頼む必要がありました。そんなときに白羽の矢が立ったのが、氏だったのであります。さすがは元・経営者ということもあり、情報に関するコンプライアンスについても不安はありません。
 ですが、氏が政府機関に食い込んできたのは、グループ繁栄のためでありましょう。今日も、氏は身内での集まりを抜け出し、颯爽と僕を送り届ける役目を買って出られたのです。あわよくば、自分も一枚噛めないかと期待して。
「やはり、お忍びとはいえ一応の公式訪問なのですから、護衛の一人や二人つけた方が宜しいのでは? このチェッカード・アグーチ、先の内戦では銃を片手に敵の群れの中を駆け抜けたものですぞ!」
 露骨に同行を求められておりますが、その要望には応えられそうもありません。
「……チェッカード殿はこの界隈では顔が利きすぎますゆえ」
 今回は一度欠席との返事を出しておきながら、こっそりと割り込もうとしております。なので、できる限り目立ちたくはありません。ゆえに、名を広めることが目的である氏とは相成れないところがありましょう。自他の利益がかち合った場合、例え相手が王女でも宰相でも、自分を優先させるのがこの男なので……油断なりません。
「おっと、これは出過ぎた真似を。失言をお詫び致します」
 空気を読む速さは、さすが商売人、といったところでしょうか。目的地たる<チェスナット領>国営ホールが近いこともあり、大人しく引き下がっていただけました。
 が、ただでは退けないのも、また商売人なのかもしれません。
「それでは、新年会をお楽しみくださいませ。ワタクシめ、チェッカード・アグーチが、財務大臣補佐官チェッカード・アグーチが無事送り届けましたぞ!」
 大事なことなので、二度申されたようです。が、その名を売り込むのであれば、僕の後任に託した方が宜しいかと。僕としては……すぐにでも辞任したいくらいですので。
 そんな僕には、そちらの入り口の方がお似合いでしょう。
「……あ、車は通用口の方にお願いできますか」
 当然のように正面玄関へと向かおうとする彼に、僕はすかさず迂回を指示しました。
「ふーむ、そちらの方が近いとはいえ……もっと堂々と入場されては? 天下の<ネイザーラント宰相>なのですから!」
 そのような仰々しい表現は好きではありません。が、耳目を集めてしまう立場なのもまた事実であり。
「不必要に目立っては、スタッフの方々にも気を遣わせてしまいましょう?」
 と、言いつつも、実のところ空気のように振る舞いたいだけなのですが。
「ふむ……さすがは宰相殿。国政の頂点にありながら、そのご配慮。このチェッカード・アグーチ、いたく感服いたします!」
 ……本当にただのおべっか使いなら軽くあしらうのですが、これで僕も認める財務大臣補佐官であります。その才はもちろんのこと、グループにとって有益であるならば、重役の肩書きに溺れることなく、補佐という立場すら甘んじて受け入れる貪欲さには底が見えません。利害が一致している限りは信頼できますが……できれば、敵にしたくはない相手といえましょう。
「……ああ、そこで降ろして下さい」
 通用口の方はそろそろ終業時刻のようで、門も半分くらい閉められております。それをいいことに、敷地の外で車を止めていただきました。
「では、ワタクシめはこちらで失礼致します。帰りこちらで一泊されてから翌朝列車にて……とのことでしたか」
「はい、ここまでありがとうございました。チェッカード・アグーチ財務大臣補佐官」
 と呼びかけてやらないと、また二回名乗られますからね……。僕なりに気を利かせたつもりだったのですが、売り込み方法はまだまだバリエーションがおありのようです。
「では! わたくしめはアグーチ本社ビルにて待機しておりますので! またご用命の際にはお気軽にお申し付けくだされ!」
 名や役職は押し出すことなく、そのような形で自己主張なされるとは。氏の本社ビルといえば<チェスナット>との境界にも近く、アクセスも良好でございますからね。……できれば、予定通りに帰還したいのですが。
 さて。
 これ見よがしに、他勢力の責任者の集まる迎賓館の敷地の前で、黒光りする車両からスーツの男が降りてきたのです。警備の任に就く者であれば、一声かけるのが当然と言えましょう。小さな歩行者用扉を残し、車両用の大扉を施錠したところで、警備員殿はそのまま僕の方へと詰め寄ってまいりました。
「もしもし、こちらにはどのようなご用件で?」
 顔パス――とはいかないようですが、こちらを提示すれば問題ないでしょう。
「<ネイザーラント>にて宰相を勤めておりますライナック・ニュートラムと申します。本日はこちらで新年の挨拶を承れるとお伺いしておりましたので……急遽予定を変更して参りました」
 王国の身分証などそう簡単に偽造できるものではありません。ひと目見て顔色を変えた警備員によって、僕は門に備え付けられた詰め所の方へと連行されてしまいました。何もやましいことはないのですが……こ……こういう扱いを受けると身が縮こまってしまいますね。やはりこれは、小心者のサガでございましょう……
 特殊光を当てていただくと、証書が本物であることはすぐに明らかとなりました。
「こっ、これは失礼いたしましたーっ! <ネイザーラント宰相殿>がお越しになるとはつゆ知らずっ! た、た……直ちに本部へ来訪の旨を連絡致しますので……」
 と、畏まられることには慣れていないので、むしろこっちが萎縮してしまいそうです。
「いえいえ、お気になさらずに。公式には欠席の旨を返しておりましたので」
 ただの新年祝いであれば、わざわざ出向くほどのものでもなかったのですが。これは、年越しも休まず情報収集に勤しんでいたアモン嬢が引っこ抜いてきた成果であり、実際、<ジャージィ>の代表すらこの件は掴んでいなかったようです。ここで出し抜けば、何らかの有利な交渉材料となるかもしれません。
「そ、そうなんですか……お疲れ様です」
 まるでそれは、休日に荷物を運ぶ業者に声を掛けるような気軽さで。警備の方にもすっかり緊張も解いていただけました。どうやら僕には、偉い人たち特有の『相手を萎縮させるオーラ』は持っていないようですからね。こちらの方が普段通りの対応、となります。
「ですので、僕の訪問については忘れた頃の事後報告……ということで宜しいですか?」
「ああ、はい。こちらとしてもその方が助かります」
 業務時間ギリギリに一国の宰相が訪れたとなれば、その手続きで残業が発生してしまいます。それも面倒臭いでしょうし、すんなりと受け入れていただけました。
 なので、彼がこれ以上僕に付き添うこともなく。
「大ホールはそこの扉から入って、すぐですよ」
 と指差す先は……灰色の鉄板。まさに、裏方のための通用口といえましょう。
「あー……どこぞの作業員と間違われなければ良いのですが……」
 つい零してしまった愚痴に、警備の方は律儀に応えてくれました。
「大丈夫ですよ。平日ならともかく、こんな年始にここから出入りする従業員はおりません。今日も、ライナック様が最初で最後の通行者です!」
 余計な仕事を増やしてしまった、というべきか、本日の出勤に意義を持たせた、というべきか……どちらにせよ、まさに“閑職”と称すべき役割といえましょう。これこそが僕の憧れであり、実に羨ましい限りです。
 形式的な敬礼に見送られて、僕は重そうな扉の前までやってきたわけですが、そのノブを引いたとき――

 ――カツン。

 何かがコンクリートの床に落ちたようです。
 弱々しい照明の下で、僕の影に紛れてしまいそうなそれは――白い封筒でした。宛先も差出人もない不審物です。
 警備さんに預けておくことも考えたのですが……下手に大事になると、第一発見者として無駄に拘束されかねません。稚拙な悪戯であれば、握り潰してしまいましょう。
 糊付けもされていないようで、蓋はうっすらと開きかけておりました。これなら、中身をあらためてもバレることはありません。
 入っていたのは普通に折り畳まれた紙のようですが、その装丁から子供の悪巫山戯の類はなさそうです。
 そして、そこに書かれていた内容は――
 ……はぁ、あのー……僕は、推理小説の主人公などではないのですが。

       B-1

 ぎゃわわわーーー!? 何が何だかドンダカドンダカしておるよーーーーー!?
 やぁ、いきなりでスマンね。でも、あたしだってビックリしてるんだよ。ようやくこないだまでのドンパチも終わって、街も平常運行に戻ったと思ってたのにさ!
 いきなり銃をぶっ放した無茶な張本人は、周囲のお客さんの善意によりすっかり差し押さえ済み。ゆえに、あたしらはスタコラとお外に逃げ出してきたんよ!
 ちなみに、ここは陰謀渦巻く政府関係施設……とかじゃあないですよ? 至って普通の街の銃屋さん。銃を売り、銃を買い、銃を愛する同好者たちの集まる系のお店です。そんなガンズラバーな方々の中に、軽々しく人に向けて射つヤツが混じっているたぁ、いただけんねぇ。ま、あたしは銃キライなんだけど。
 にしても、何で善良市民たるあたしがこんなことに巻き込まれてしまったかとゆーと……あたしは悪くない! 悪いのは、あたしのダウンにしがみついてガタガタ震えてるコイツだッ!
「ふぇぇ……ライナック……助けてライナック……」
 普段は偉そうにイキってるクセに、銃声一発でこの有様。あたしよかデカい図体しながら、背中丸めて小さくなっとるよ。ったく、この王女ちゃんはお兄ちゃんのいないとこだとビックリするほど弱いなぁ!
 さてさて。
 何でこんな夜遅くに、王女を連れてこんな店に遊びに来ていたか、っつーと……まあ、一口にゆって、お兄ちゃんを迎えに行くつもりだったんよ。折角の冬休みだってーのに、急な仕事で強制連行されて、そのまま帰れなくなるかもとかゆーんだから、王女でなくても泣きたくなるわ。
 っつーか王女、思いっきり泣いてたし。ゲロ吐きそうな勢いで。
 何かもう見てらんない惨状だったから、あたしは『お兄ちゃんを連れ戻そう計画』をブチ上げてみた。ということで、<孤児院>の子供たちを寝かしつけてから、こうして王女と二人きりで夜の街に繰り出したってワケですよ!
 すると間もなく、王女が『トイレ行きたい』とか軟弱なことをヌカしやがってね。そういや、出掛ける前から結構呑んでたっけか。呑ませたのはあたしだけど。
 とはいえねぇ、残念ながら町は今夜も正月気分。通常営業には程遠く――年越しから朝まで騒いでたこともあるんでしょーね。一年の二日目の夜は、むしろいつもより静まり返っておりますです。
 そんな中でも開いてるお店は飲み屋さんか、さもなくば――年間行事に流されないハードコアなハミ出し者たちが集う場所、ってことね。
 店に入るなり、王女は花摘み直行。こっちはその間、物騒な展示品をダラダラと眺めておりましたさ。
 あたしはこういうの嫌いなんだけど、男子ってやっぱ好きなのねぇ。買う気があるんだかないんだか判らん連中がボチボチ集まってるもの。
 ……いや、買う気なさそう。お正月ムードに馴染めなくてここに逃げ込んできた、って雰囲気の方が近い。どうやら地下には射撃場もあるようで、そこで自慢の得物をお披露目するために店まで来た方々みたいね。
「内戦中、オレはコイツで旧政府の連中を――」
「おい、ソイツ下で使った弾入りだろ!? ここで出すんじゃねぇよ。マナーってもんを考えろ」
 おーおー、引き金引きたくてウズウズしとるわ、物騒なことに。何でそんな危険物を誇らしげに見せびらかしたがるのやら。
 思えばこの島――昔話の時代は置いといて、昨今でいえば平和な期間の方が長かったからねぇ。ドンパチも一部例外を除いてあたしらの知らんトコでやってたみたいだし。ピストルなんてもう見るのもイヤ! というより、これまでの軍ヲタ知識を活かす間もなく騒ぎが収まり残念無念、とヤバイこと考えてる人も少なからず居る様子。
 そんな一人に、あたしは声を掛けられた。あの雑談連中ではなく、また別のオッサンにね。
 ナンパ的な意味は全然なく。
 ビックリするほど色気なく――!
「ボク~……さっき一緒にいた女の人のこと『王女』って呼んでたけど……物凄く、本物にソックリだったねぇ?」
 ……チッ。テメェもあたしを“ボク”扱いか。こんな可愛い男のコがおるワケないでしょ。
 そのクセ、王女の方はキッチリ見抜いてやがるあたり……ったく、コイツら、権力的なもの大好きよね。
 他の連中も、あたしたちのやり取りに聞き耳を立ててる。どうやら、ニセ王女にしては似すぎている、と気になってたみたい。
 フン、あたしを侮っていたこと……後悔させてやるわ!
「ソックリじゃなくて、本物ですけどナニか?」
 ざわ……
      ざわ……
 ぷふ~、驚いてる驚いてる。
 ま、あたしも前の騒ぎの中で本物とか偽物とか色々掴まされちゃったけど、少なくとも現在個室で用を足しているのは、間違いなく本物だと思うよ。
 とか何とかゆってるところに本物登場。いつも人前に出る際には豪華なドレス着てるけど、今日は足が寒そうなハーフコート。庶民的かつ歳相応。だけど、それが何だかヤな感じ。王女らしくない格好をしている王女は……どことなくお兄ちゃんに似てるから。
 肩に掛かる濃紺の髪もお兄ちゃんの自毛とソックリだし、空色な瞳もまた。
 あ、でも今はちょっと濁ってるかも。
「ナニ? トイレで一人泣いてたの?」
 こちとら善意で心配してやってんのに、この女はあたしの銀髪をワシっと鷲掴みなんてしてくる。
「それは貴女じゃないの? 目が真っ赤よ」
 うっさい。あたしの目は泣かなくても元々赤いわ。銀髪と赤目。うさぎみたいだよね。カワユイよね。
 まー、憎まれ口を叩く余裕があるなら大丈夫かねー、とチッチクチッチクじゃれ合ってたところ……今度は別のオッサンが我々に話しかけてきよったわ。
「お、お取り込み中のところ失礼します。そこの少年から、貴女様がトリアンタ王女陛下であるとお伺いしたのですが――」
 待てオイ。女子二人組捕まえて誰が少年か。あ、でも王女のヤツ、こっち見下ろしながらすっげー嫌な目で嗤ってやがる。でも、それでこそ王女らしい王女なのかもね。
 復活の王女はゴキゲンにブーツの踵をタタンと合わせて、背筋をピン!
 そして胸の肉に手の平を置いて、優雅な自己紹介の決め台詞。
「私の名は、トリアンタ・フォン・ネイザーラント。フォン、なんて貴族みたいなミドルネームを挟むけれど、貴族家庭の育ちじゃないの」
 おぉ……ってオッサンたちのどよめきを受けて……すっかり本調子だわな。さっきまでお兄ちゃんの名前呟きながらボロボロ泣いてたのと同一人物とは思えんね。
 どうやらこの挨拶は、マニアの間では有名だったみたい。本物だ……本物っぽいぞ……ってめっちゃソワついてやがる。
 そして、よくわからないノリになってきたところで、ギャラリーの輩が何をやらかすのかと思えば――
「お、お……王女陛下! お近づきの印に、さささ……サインなど!」
 メモ帳Withペンを差し出すように突きつける王女マニア。
 それを受け取ると……うわおー、コイツ、めっちゃサイン慣れしてやがる。そーいや、お兄ちゃんが頑張ってアレコレした最後に承認するのが王女の仕事だってゆってたしね。
 一人に応じれば、また一人。俺も俺もと大混乱!
 この勢いには王女も怖気づき気味だけど……
「サインくらいしてあげたら? 減るもんでもないし」
 それに、お客さんの数なんてタカが知れてるしね……ってカウンター空になってる! 店員さんまでこのサイン会に便乗しちゃってるんかい! どんだけ大人気なんよ、この王女。
 ――という和やかな空気を台無しにしてくれたのが、冒頭で話した一発の銃声だった、という流れになるわけですね。
 いやさ、こんなときに殺気なんておかしいと思ったんよ。せいぜい、お客さん同士で揉めてるのかな、くらいで。
 ところが、チラリとそっち見たら、人のいる方に銃口向けて構えてるんだから笑えねぇ!
 ああいうシャレにならないマナー違反には一声掛けなきゃ――って思ったところでマジモンの炸裂音ですよ! 弾道は横からだったから距離感が見えにくかったものの、慌てて手を伸ばして――ぎゅむっ!
「あつつつつっ!」
 っぁ……。余裕があれば金物で叩き落としたところだけど、急に銃弾がきたのでつい素手で掴んじゃったじゃん!
 みんな銃好きだから知ってるっしょ? 発射された弾が超高速回転してるの。手掴みしたら、皮が剥けるどころか火傷もしかねないんだからね! 当たったらもっと痛いし。
 くすんだゴールデンな塊を放り捨てて手の平をフーフーしてる間に、王女の取り巻きたちが発砲犯へと飛びかかる! まー……組織的な犯行ではなく、一部の悪質なファンによるものだった、ってことね。
 まさか王女が未だに襲われる立場だったとは油断したわ。そういうのはもう落ち着いたと思ってたのに。
「王女、危ないから帰ろう。おじさん、コレ借りてくね」
 護身用に安心の一本。この持ち主さんたち、下の射撃場でぶっ放してきた後みたいだから、ちゃんと弾出るんでしょ?
 みんな王女に理解のある人だから、無条件に許可は下りるものと思ってたんだけど――
「待て待て坊主、子供ガキが五〇口径なんて持ち出してどうするつもりだ!?」
 ……あぁ? こんなカワユス女子のこと男扱いするヤツに説明なんぞしてやらん。王女は怪我すると非常にマズイ体質だってお兄ちゃんに聞いてるから、念には念を押してるだけだよ。この王女、どうも鈍くさいところがあるから、銃声聞いてからじゃ間に合わんかもしれんしね。

 ……というのが、ここまでのあらすじっつーこった。
 王女の手を引いて店の外に飛び出すと――少し離れたところから、さっきと似たような殺気が四つほど。でも、町は静かなまま。うーん、さすがにねー、銃屋さんから銃声がしたところで、そこまで驚く人はおらんわな。
「王女、あたしの後ろに隠れてて」
 とゆっても、王女の方がノッポだし。その高い頭があたしの裏に縮こまって……あぁ、ヘッポコ。
 なぁんて、のんびり構えている余裕はない。殺気の所在は屋根の上。この商店街に並ぶ建物の、どこかの屋上から狙ってるみたい。暗闇に紛れて、あたしたちが店から出てくるのを待ち構えてたんだなぁ。
 幸い、ひさしがあるので、後方真上から狙ってくることはなさそう。通りの向かい側のどこからか、ってトコね。
 自分ひとりなら、ヒョイっと飛び込んで片っ端から手当たり次第に一掃すればいいんだけど、邪魔な荷物を抱えてるからねぇ……と、ちょっと迷ったところで――

 バォンっ!

 夜空に花火の音だけが響く!
 相手の狙いがあたしの眉間だったのが不幸中の幸い。視認できたのはすぐ目の前だったけど、首を捻れば簡単に躱せる。
 とはいえ、ちょっち数が多いね。四人同時に撃たれたら、一・二発は王女が被弾しかねない。
 現に、お次は二連発。今度の狙いは胴体か。
 仕方ない。あたしは王女を抱えて地面を蹴る! するとお店の壁にはバコンバコンと二つの孔が。おお、怖い怖い。
 でも、これで四人中三人の位置は判ったわけで。そうすれば、さすがに……ねぇ? 最後の一人はあの辺から狙ってきそうだなー、ってところを眺めてみれば――屋上ならどこでも乗れるってわけでもないし、多分、あの金物屋さんの上でしょ。隣の事務所からじゃ角度がキツすぎる。ここからでもひさしに遮られて上の方が見えないもの。
 だから、そこに向けて……喰らえっ、プリティ・威嚇・ショット、略してプリット!

 パァンっ!

 ビシィと屋根の一部が砕け、四発目の凶弾は飛んでこなかった。よォし、予想的中!
 ついでに、残り三人についてもぷりぷりぷりっとプリット連発。お前らの居場所は判ってるおー! ってメッセージを込めて。これ以上ヤるなら次は当てるからね? いや、当てないけど。
 ……シーン……
 ふむ、殺気も綺麗に消えた。見事なまでの戦意喪失。どう見ても暗殺狙いだったし、バレたらすっかり引いてくれたわ。
 よーし、いまのうちに逃げちゃおう! って王女の手をグイグイ引っ張ってるんだけど……
「ライナックぅ……ぅ、ぅぇ……」
 ……ウゼェ。誰の所為でこんなことになってると思ってるんよ! 面倒くさいからグイっと小脇に抱えて、あたしはスタコラサッサと来た道を引き返していく。
 最初は他人事だった夜の町も、さすがにこれだけ外でパンパン鳴らせば何事かと心配にもなるわな。憲兵さんにも通報してるだろうし……あとはそっちに任せましょ。
 ぴょいこらぴょーん、と<孤児院>に到着すると……おお、あの車に付いてる旗は、お兄ちゃんの職場マーク!
 予定より早く帰れるようになったのかニャー? だったら、家で待ってれば良かったかもー……と思ったのも束の間。窓がキュルキュルと下がっていたその向こう側には――
「ホト・ニュートラルでございますな!? ワタクシ、ネイザーラント財務大臣補佐官のチェッカード・アグーチと申す者でございます!」
 ……うわぁ、このオッサン見覚えある。前の内戦で……あたしのこと坊主呼ばわりしたヤツだ! でも、悔い改めてあたしのカワユサに気づいたようだから、話くらい聞いてあげよう。少なくとも、お兄ちゃんの職場の人であるのは間違いないから。
「はいはい、ホト・ニュートラム嬢でございますよ。で、こんな夜遅くにご用件は?」
 ま、十中八九、このダメ女のことだろうけど。
「王女襲撃の件はこちらにも報告が上がっておりましてな。いやはや……そちらで目を回されているのは……まさか、本当にこんなところにおられるとは……」
 むぅーん、どうやらオッサンは王女がここに来てたのを知らんかった様子。そーいや、お仕事関係の人には言わずにコッソリ来てたっつーてたしね。
 目を回してるって……ああ、どーりで静かだと思ったら、この手荷物、すっかり伸びてるわ。お酒の酔いもあるかもだけど。
「まー、官邸が一番安全っしょ。コイツ、持って帰ってくれる?」
 後部座席を勝手に開けて、あたしは王女をポイっと放る。
「お、お、王女陛下をそのような……!」
 運転してきたオッサンは慌ててフォロー。きちんと座らせて、シートベルトも締めさせて……ああ、手間のかかること。
「い、妹君のことはライナック殿から伝え聞いておりましたが……何とも……破天荒な……」
 あ、そうだ。お兄ちゃん!
「んで、お兄ちゃんはどうしたん? 一緒には乗ってないみたいだけど……」
 イヤ~な予感がしたので、念のために確認しておいたわけですが……!
「会合の方は切り上げて、早速官邸へと向かわれておられるでしょう。これから緊急対策会議がありますから……いやはや、宰相ともなると休暇もままなりませぬな」
 ガーーーーーン!!!
 お兄ちゃんの冬休み、強制終了ッスかーーーーー!?
 ホントはあと二日ゆっくりできるはずだったのに……
 あいつらの所為で……あいつらの所為で……!
 ブォォォン……とエンジンを噴かせながら闇に消えていく黒い車。フフ……排気ガスが目に染みるねぃ……
 ワイワイガヤガヤウインウイン。目を覚ました活気は留まるところを知らない。
 そんな賑やかな街明かりを遠目で眺めながら……あたしは一人トボトボと我が家へ帰宅するのでしたー。
 ぅぅ……グスン。

       A-2

 この忙しいときに……あの妹は何をやらかしたのでしょうか……!?
 詳しいところは僕にも判りません。ですが、絶対に良からぬことをやらかしたに決まっているのです。事実、王女陛下は妹ともに、丁度<孤児院>へ戻ってきたところで保護されたとの報告を受けました。一体どこへ連れ回そうとしていたのか……考えたくもありません。
 ともあれ、チェッカード・アグーチ補佐官にそのまま向かっていただけたのも幸運だったといえましょう。氏は、王女陛下に恩を売るためには暇を惜しみませんし、口の堅さにも懸念はありません。が……やれやれ、氏の活躍には報いる必要はありますが、現状の――補佐官以上の権限を与えるのは危険ですね。アグーチグループに何か有利に働く条件付き優遇策を用意するのが妥当なところでしょうか。
 これにて、王女襲撃の件はおそらく一段落ついたと思われます。あんな街中で大規模な銃撃戦を起こしかねないほどの反政府組織については常に動向を押さえてあり、今回に限っては無関係だと判明しております。何より、非公式な外出中での騒ぎです。おそらく、計画的というより偶発的。引き際の早さからみても、おそらくこれ以上戦線を拡大させることはないでしょう。
 とはいえ、こちらも現場に残された証拠と共に、該当集団の代表格のお宅に一筆非公式文書を送らせていただきましたが。今後も飲み会で政権批判をネタに盛り上がるくらいは大目に見ますが、あまり出過ぎた真似はしないように、と。まあ、何のバックもない趣味の集まりですから、自然消滅するでしょうね。
 それでも、名目上は再発の防止と陛下御身の警備の強化について話し合う必要はあります。
「――ということでして、北部の警備はレッキス小隊に担当させることに……宰相殿、宜しいですか?」
 という軍務大臣殿の確認に対し、
「……あ、はい。それでお願いします」
 と適当に相槌を打ってしまいました。どちらにせよ、一〇日程度で警備は解除しますから、そんなに難しく考えることはありません。
 何より僕を深く悩ませているのは……あの新年会のことです。
 まさか、あの人と出遭ってしまうとは……
 もう二度と、邂逅すべきではない、と願っておりましたのに。

 そもそも何故休暇を返上してまで新年会などに送り込まれたか――それは、今後の勢力図に多大な影響を及ぼす重大事項が公表されることを、秘書のアモン嬢が掴んだためです。おそらくは――これまで進められていたミラルダ・リンクス嬢とのご婚約の件でしょう。
 <リンクス>勢は人口一〇万――これが<チェスナット>の人口三〇万と合わされば、四五万の人口を抱える<ネイザーラント>としては無視できるものではありません。
 もしかすると、こちらから欠席の返事を提出したため、発表時期を早めたのかもしれません。確実に、我々を対抗勢力として視野に入れているでしょうから。その場を借りて未だどこにも所属していない諸侯を抱きかかえようとしていたのかもしれません。
 つまり、今回の催しは――<チェスナット勢>による平和的な宣戦布告、とも受け取れます。
 アモン嬢には、休暇中は余程の件がなければ連絡はしないよう伝えておきましたが……まさに、余程の件と認めざるを得ません。
 ということで、これはあくまでも政治上の牽制行為であり、元より祝福の意思はありませんでした。
 しかし――
 結局、この盟約が結ばれることはなかったのです。しかも、破断のきっかけを作ってしまったのは……他ならぬ、この僕でありました。

       ***

 作業員用の通用口の先で待ち構えているのは、ドス黒い権力者同士の鍔迫り合いを派手やかな笑顔でラッピングした新年会です。どうしたって気持ちよく過ごせるワケがありません。そんな不快感もありまして、僕はホールへと足を運ぶのを控えさせて頂いております。
 先程取得したばかりの封書につきましては……申し訳ありませんが、警備の方にそのまま届け出ることはできません。ただ、念のために別途不審物の捜索を秘密裏にお願いいたしました。金一封握らせておけば、あの手の方々は深入りすることなく動いていただけるので助かります。
 で、僕がどこで何をしているかと申しますと、このような階段の陰に潜ませて頂きました。先程入ってきた扉付近を、建物内部から見渡すために。
 このような場で、このような策を弄するということは、無差別殺人の類いではなく――おそらくは、勢力争いの一端。今回のご成婚を阻止したい派閥によるものでしょう。その容疑者として――立場上、<ネイザーラント>は確実に含まれます。しかも、一度は欠席としておきながら密かに来場していたとあれば、真っ先に疑われかねません。ですので、犯人には下手な行動を謹んで頂く必要があります。
 それに、<チェスナット勢>の台頭を歓迎しない相手であれば、逆に、こちら側としては与し易いかもしれません。犯行の途中で押さえることができれば、何らかの交渉カードを引き出すこともできましょう。
 僕は、愛用の腕時計に目を落としました。手紙によると、犯行は二〇〇〇。諸々の準備を考えると、そろそろ現れても良いはずなのですが……
 コツコツ、と複数の足音に混じって、この声は……女性のようです。
「お爺様、おトイレはこちらですよ」
「あぁ……付き添ってもらってスマンねぇ……」
 お相手は随分お歳を召されておられますね。このような会合に顔を出す必要のあるご老人といえば……ご婚約先の当主であられるリンクス卿と思われます。そんな彼と親密に接しているのですから、女性の方は今回の主役のひとり、ミラルダ嬢でしょうか。もうすぐ壇に上がらねばならない方が、こんなところにやってくるとは不可解なことです。
 何より、犯人一行はここから分刻み、いえ、秒刻みで緻密な計画を組んでいることでしょう。そこに、偶然でも最大の当事者が居合わせてしまっては台無しです。
 ……いえ、まさか僕の知らないところでも事態が動いており、彼女をここに誘き寄せることもまた、犯人たちの計画の一部だとしたら――!?
 ……などと様々な懸念を抱いておりましたが、それは杞憂だったようです。とても、とても残念なことに。
「捜し物はコレ……ですよね」
 トイレの中で用を足しているリンクス卿を差し置いて、ひとり扉の隙間をまさぐっている無様な背中に、僕は階段の上から声を掛けました。
 姿の見えない声の主をキョロキョロと見回すミラルダ嬢。これから幸福な門出を迎えようとしている本人が、どうしてこのようなことを……?
 誰を狙い、何を企んでおられるのか……僕には判りません。ただ、今回の狂言に与していることだけは確かです。
 こちらから堂々と姿を現し、拾った封書を差し出すと……ツカツカと歩み寄ってきた嬢は、乱暴に僕の手からその品をひったくりました。が、それ以上何をする様子もありません。おそらく、計画の失敗を認めて観念されておられるのでしょう。
「『駆除に参る』などとわざとらしく外部からの侵入を匂わせておられましたが……残念ながら、この扉は僕以外に誰も近付く人はいなかったんです」
 外部に見せかけた内部の犯行――だからこそ、犯人の手口はすぐに見通せました。
「おそらく、敷地の外周に爆発物を仕掛けているのでしょう? そうして、人々の目を外に向けたところで、中にいるターゲットを拉致、もしくは殺害する……といったところですか。仕掛けについては、少し前に警備の方に捜索をお願いしております。見つかり次第、安全に処理されることでしょう」
 当然のことながら――ここは、各勢力の代表の集まる場です。目立つ凶器を持ち込むことは難しいですし、爆発物で直接殺害するとなると、他の方をも巻き込みかねません。
 ゆえに、犯行声明を周知させた上で軽く騒動を起こせば、場内の人間の行動を制限することができます。例えば、避難と称して対象を孤立させ、そこで殺害――罪は、実体なき犯罪組織になすりつけて。
 花嫁は悔しさと憎しみの入り混じった瞳で僕を睨みつけています。
「あなた……何者なの……?」
 ここは名乗るべきか……少し悩みましたが、無関係な一般人が潜り込める建物ではありません。
 ゆえに、一言だけ。
「名乗る程のものではありません。通りすがりの、<ネイザーラント宰相>です」
 僕の名など、肩書きの付属品にすぎません。その職を辞すればたちまち無価値となるでしょう。
 しかし――
「確か、ライナック……とかいったかしら? ……イヤな響きね」
 さすがはリンクス令嬢。僕の名前をご存知のようです。……まあ、<ネイザーラント>といえば、先の国家分裂の元凶であり、相応の勢力を保持しておりますから、無視するわけにもいかなかったのでしょう。
 腕時計で再度時刻を確認しておきますと――二〇〇三。邸の内外に異変が起きている様子はありません。現時点で、この花嫁に詰問しても無意味です。この事実を基に、後ほど独自に調査させていただきましょう。このまま彼女をホールに戻せば、締めを飾る婚約発表も予定どおり執り行われるはずです。
 僕は、余計なトラブルに巻き込まれずに済んで胸を撫で下ろしておりました。
 しかし……
 事件はまだ収束していなかったのです!
「あ……あなた……ソレは……!!」
 迂闊でした! 犯行予定時刻が過ぎれば、あの声明文は使えません。
 だからといって……実力行使に出るとは……!
 やはり、敵対意思がないことは示しておくべきだったのかもしれません。花嫁自ら、証拠隠滅とばかりに襲い掛かってきたのです!
 相手は細腕の女性ではあるのですが……残念ながら、僕は弱いです。自慢ではございませんが、とてつもなく貧弱です。
 いとも簡単に押し倒されて……喉を絞められれば呆気なくその生涯を終えることとなりましょう。
 せめてもの抵抗として繰り出した右拳は握手のごとくに受け止められ、左手首はしっかりと掴まれ、これまでか――と腹を括ったところで、一瞬の隙が生じました。
 あまりに予想外の展開――僕のもう一つの頭頂部と申しますか、意図の掴めない装飾品と申しますか――いわゆる、“カツラ”と呼ばれるものですね。倒れた拍子にズレて二色になった頭髪に、彼女は気を取られているようです。
 とはいえ――僕とて未だ二十歳に満たぬ若者です。心労は絶えませんが、頭皮の毛根に疲弊はありません。こちらは、フサフサの自毛でございます!
 なのに、何故このようなものをかぶっていたかと申しますと……ひとえに、王女陛下からのご命令に他なりません。公務の最中は、これを着用せよ……と。理由は極めて背信的なものであり、この事実を知るのは僕と、王女本人のみではありますが。
 少しでも面食らっていただけるのであれば生き延びる望みには繋がります。大声を出せば――ホールは賑わっていたとしても、誰かの耳には届くかもしれません。
 しかし――
 彼女の一言によって、僕の喉は締め付けられてしまったのです。

「やっぱり……コレは、わたくしが差し上げた腕時計……!」

 ……ドクン。
 全身を硬直させるのは、心臓に重苦しくのしかかる圧力。
 その根源にはおどろおどろしい後悔。
 古い過ち。
 ずっと忘れていたのに……忌まわしい記憶が、蘇ってくる……!
「妙な被り物なんてしてるから気付くのが遅れましたけど……あなた、<ニュートラム孤児院>のライナックでしょう!?」
 どうして……出遭ってしまったのでしょうか……!? もう二度と遭うこともないと信じていたのに……!
 人違いだと誤魔化すべきだったのかもしれません。が……つい僕は、彼女の名を呟いてしまったのです……!
「アリスト……クラート……」
 美しい女性へと成長を遂げている彼女ですが……その真っ直ぐな瞳は一四だった当時のまま。その面影が、僕の古傷に深々とナイフを突き立てるようです……!
 もう、とっくに割り切っているつもりでした。しかし、彼女が……かつて恋い焦がれた女性が別の男性と結婚する――その現実は僕の胸を引き裂き、ドス黒い血が噴き出しそうです。
 願わくは、独りにさせて下さい!
 誰もいない場所で、この苦しみを涙へと変えるために……!
 しかし――
 堪えている僕の頬に、冷たい雫が、ぽたり、はたりと。
「嘘吐き…………ッ!」
 僕を拘束していた両腕は解かれ、開かれた手の平は左頬へと振り下ろされました――が、そこに殺意はありません。
 バチンと叩かれた跡は痛みますが、それ以上に――もう片頬へと添えられた手は優しくも力強く、僕の鼻先を真っ直ぐ自分へと向けさせる彼女に胸が詰まります。
 どうしても顔を反らしてしまう僕と、目と目で語り合うため――かつての僕は、彼女のこの手が大好きでした。
 しかし、いまは――彼女を直視することすらできそうにありません。
 いつでも余裕を失わなかったアリスが、心を剥き出しにして訴える姿など、見たことがなかったから。
「何が『ずっと<孤児院>で暮らしたい』ですの!? 宰相になって国家統一に乗り出すような意思があるなら、どうしてあの日に……あの日に……ッ!」
「僕だって……好きでこんなコトしてるワケじゃない……っ」
 あの日のことは、思い出させないで下さい……。結果として、僕は、彼女が望むような生き方をしているのでしょうけれども。
 この未来がお互い見えていれば、あの日は変わったのかもしれません。
 だけど、もう、僕たちは……
 あの日には戻れないのだから――!
「お、お……おぉ……? ミラルダや……何があったのじゃ……?」
 どうやら、リンクス卿が戻られたようですが、驚かれるのも当然です。自分の娘が、どこぞの男に馬乗りになっているとあれば。
 さっと彼女は僕の上から飛び退きましたが……この状況に弁解の余地はありません。ゆえに、場を取り持つのは――やれやれ、被害者のはずの僕ですか。
「ご心配なさらずに、リンクス卿。これは、ちょっとした……事故のようなものでございます」
 ちらりと彼女の方を見やると……さすがですね。既に平静を取り戻しておられました。<孤児院>で共に過ごしていた頃を彷彿とさせる佇まいです。
 どのような事故かは測りかねておられますが……ともかく、リンクス卿にも納得していただけたようです。
「ふむ……? 儂のが何やら大胆なことをしでかしたようで、申し訳ありませんでした」
 娘……ですか。そうはいっても、彼らに血の繋がりはありません。卿の本当の跡取り息子は事故で亡くなっており、アリストクラート・ニュートラム嬢――<リンクス家>に嫁ぐ際に“ミラルダ”と名を変えたようですが――彼女はその嫁にあたります。自分の財を男子に継がせるべく、慌てて再婚相手を見繕っていたとの噂は聞いておりました。しかし、その相手がまさか<チェスナット家>のご子息であるタン・チェスナット候だったとは恐れ入ります。
 <リンクス家>にはそれほど大きな財力はありません。ゆえに、力ある近隣諸侯と友好を深めることで、何とか自立を保ってきたところがあります。それが、こうして<チェスナット家>と婚姻関係を結ぶことができたのですから……卿の願いはある意味叶った、と言えるのかもしれません。
 個人的な感情は渦巻いておりますが――ここは、卿の手前であります。社交辞令は述べておくべきですか。
「ミラルダ嬢、ご婚約の噂はかねがね耳にしておりました。この度は、おめでとうございます」
 彼女とて当主を継ぐ身であります。先程まで取り乱していたのを感じさせない笑顔で僕の両手を握り、そっと立ち位置を変えると――
「!?」
 瞳を見開き、牙を剥き、それはまさに、突如人が変わったかのように……! 指には憤怒の握力が込められ、僕の骨をも軋ませます。
 それでも、この急変を気取られないよう卿にはしっかりと背を向けて、抉るように僕の鼻先へと唇をねじ込むと、噴き掛けるのは焼けるような吐息。
 そして――

本当のあなたと再会した今、他の男と結婚なんてできると思って?」

 小さく、それでいて、僕にだけは確実に届く声で。早口に呪いの言葉を囁きかけると、僕の掌握を解いて一歩下がり、今度は悲しげに憂いて目を伏せられました。
「<ネイザーラント宰相様>、大変申し訳ありませんが、ホールまでお爺様に付き添って頂けないでしょうか」
 公人に戻った彼女を目の当たりにして……ようやく足の震えも収まったようです。先程のアリストクラート嬢からは、本気でそのまま肉を噛み千切らんとするほどの凄みが感じられました。五体満足で命がつながった幸運に、僕は感謝することしかできません。
 しかし、それを知らないリンクス卿は、突然の申し出に困惑するばかり。
「ミラルダや……どうしたのじゃ……? お前は、一体……?」
「ごめんなさい、お爺様、どうしても確かめなくてはならないことがありますの……!」
 ふわりとスカートを翻すと早足に、それでも気品ある歩調で会場に戻られてゆきます。そんな彼女を追うようなことはせず、僕はご老体を支えながら、ゆっくりと時間を掛けて辿り着きました。
 そこで繰り広げられていたのは、幸せそうな二人による愛の紡ぎ合いではなく、その絆を自らの手でズタズタに切り裂いていく光景だったのです!
「タン様! これは一体どういうことですの!?」
 アリストクラート嬢は、壇上でタン・チェスナット候に二枚の書面を突きつけておりました。
 一枚は、僕が先ほど横取りした狂言同然の脅迫状。そして、もう一枚は……
「あなた様から頂いたお手紙と、この脅迫状! まるで一枚の紙を断ち切ったかのように断面が繋がるなんて……!」
 少しの違和感はあったのです。脅迫状ともあろう書面が、量販された特徴の乏しい無地用紙ではなく、相応にしっかりとした質の紙が使われていたことに。
 そのときは、権威のある者同士の争いを演出するため、公式文書に使用されるものを拝借したのかと思っておりましたが……まさか、婚約者に罪を着せるためだったとは!
 詰め寄られたチェスナット候の顔に浮かぶのは、計画を暴かれたことによる狼狽ではなく、裏切りを知った悲壮と絶望――
「嘘だ……! 嘘だと言っておくれ、ミラルダ!!」
「言い逃れはおよしなさいな! 衛兵! この者を拘束しなさい!!」
 ここは紛れもなく<チェスナット>領の公館のはずです。にも関わらずこの手際の良さは……どうやら館内警備まで買収済みだったようですね。
「待て! 待ってくれ! 皆様、私の話を……!」
 ざわつく場内を置き去りにして、チェスナット候は舞台裏へと退場させられてしまいました。そして、もう二度と表舞台に上がることはないでしょう。
「ぉ……ぉぉぉ……これは……何故こんなことに……!?」
 リンクス卿の願いは、成就される直前で水泡と帰してしまいました。涙を流しながら茫然自失の表情で壇上の愛娘を眺められておられます。
 しかし、彼女は養父の視線にまったく気付いておりません。彼女の視線の先は、養父の隣で佇む僕ひとりへと……!
 その目は……まさに、捕食獣そのもの。こちらの一挙一動を観察するような、少しでも怪しい動きを見せれば、次の瞬間食い殺すような、そんな恐怖を感じさせます。
 指一本動かせないほどの金縛りから開放してくれたのは、会場内に響いた僕を呼ぶアナウンスでした。
『<ネイザーラント宰相>のライナック様、至急受付までお越しください』
 これには、場内も当然ざわめきます。欠席していたはずの<ネイザーラント>が参加しているのですから。
 しかし……どうしてこう、僕は気づかれないのでしょう。実のところ、別の立食会では給仕と間違われたこともありますし……
 僕の存在に気づいているのは、ここまで寄り添ってきたリンクス卿を除けば――壇上のアリストクラート嬢のみでしょう。第三者の参入を機に僕たちの間の冷戦……というより、籠城した僕が一方的に攻められていたようなものですが、とにかく、彼女からの威嚇は収まりました。
 つややかな絹色のドレスの裾をシャンと翻す様子に、婚約者への憂慮や失意などは感じられません。ただただ冷酷に、一仕事終えた死刑執行人のようです。
 リンクス卿にはその場で失礼しまして、僕もまた、ホールを後にすることができました。
 しかし……受付すら通っていない僕がどうして受付に呼び出されるのか……それは当然、僕の出席を知るものからの連絡を受けたからであり、それはまさに、面倒事の到来に他ならないのでしょう。
 速やかに用件を尋ねるために、受付嬢に対して身分証を取り出すと、別段偽造を疑われることなく――代わりに差し出されたのは、受話器でした。
「<ネイザーラント官邸>からお電話が入っております」
 あぁ……やっぱり……。そもそも、こんなところまで連絡を寄越すような者は、アモン嬢ただ一人。となれば……それはもう、面倒な面倒事以外にありえないわけでして。
 電話口の彼女はいつもどおり淡々としておりますが、その危機感だけはひしひしと伝わってまいります。
『宰相、ミニヨン商店街にて発砲事件が発生いたしました。<チェスナット>に駐在しているうちの者に車を手配させておりますので、着き次第、官邸へお戻り下さい』
 ミニヨン商店街といえば、<孤児院>からも然程離れておりません。王女が私的に滞在していることも認知しているはずですし、緊急事態だと判断したのでしょう。
「了解しました。ただ、いくつかお願いが……」
『あァ?』
 ひぃっ!? どうして溜め息のようにそんなドスの利いた声が出るんですか! 受話器を持つ手が汗で滑りそうです!
「お……王女の送迎ですが、アグーチ本社ビルにて待機中のアグーチ財務補佐官に依頼していただいても宜しいでしょうか……。そして、傍に小柄な男の子が居た場合、それは女子なので、決して男扱いしないこと。また、この件について口外しないことも」
『……チッ……了解いたしました』
 何故そういう悪態を逐次挟むのですか! それ絶対、マイクに入れるつもりで舌打ちましたよね!?
 まあ、アグーチ殿は政府関係者からもあまり好かれてはおられないようですが……はぁ、彼に対しては、僕へのように喧嘩腰にならないでくださいね……
 それでも、アモン嬢の仕事は的確で速いことには違いありません。殆ど間を置くこともなく、送迎車両の到着の報を受けることとなりました。
 そして僕は、アリスから逃げるように――いえ、逃げた先も、面倒事が山積みなのですが。
 しかし、いまだけは少しそれに感謝いたします。
 仕事に忙殺されている間だけは――昔のことを忘れていられるから。

       ***

 官邸での会議は、主に防衛と実行犯の背後関係についてでしたが、店舗で取り押さえられた犯人はけじめとして組織から切り離されるでしょうし、この時点で収束させたなら、第二、第三、と続くこともないでしょう。陛下もお部屋でよく眠られておられるようですし、襲撃に関する小競り合いついては、僕の頭から完全に離れつつありました。
 いま対応すべきは、<チェスナット>、<リンクス>両勢力の動きです。仮に爆発物が発見されたとしても、統括しているのは事実上アリストクラート嬢の配下ですからね。今頃平然と隠滅されていることでしょう。
 彼女におとしいれられた<チェスナット>は、少なからず凋落するでしょうし、三国のバランスが崩れることで、小競り合いが勃発するかもしれません。三日くらいは間者に各勢の内情を探らせ、そこで得た情報を元に、今後の対策を考えましょう。
 何故三日なのか? それは、本日休日出勤を強いられたアモン嬢が冬季休暇から戻られるからでございます。

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