少年は、強さを求めた。
 大切な人を、守るための強さを。
 いつか出逢うと信じている、未だ見ぬただひとりのために。
 だが、愛する女性ひとを守るには――
 人々は“強すぎ”、彼はあまりに“弱かった”

       ***

 警告指数アラートレベル2。基本的には逃亡中の不審者の追跡及び身柄の確保ではあるが、軽く武装もしているらしい。とはいえ、その程度なら、<学徒連合>だけでも対応できる――と、上は判断したようだ。
 学校は領内各地に配備されており、内部の侵入者を追い詰めるのには都合が良い。各校の<マイト>たちに通達が行き渡ると、一斉に車輌が駆け巡る。逃げ道を塞いだところで、捕捉に掛かるのは<キリサワ学園>の第一部隊。生徒会長・アヤノが自ら率いる精鋭部隊である。
 敵はこの山林地帯に逃げ込んだようだ。しかし、その先は――<モリノス遺跡>……!
 ヤツらは歴史の重みを歯牙にもかけない。容赦なく戦闘行動に巻き込んでいくことだろう。だが、それがこの戦乱の引き金となったと考えると――新たな火種を増やすべきではない。
 さらに、中は石造りの建造物で迷宮のようになっている。逃げ込まれては見つけ出すことも難しい。
 近づくにつれて、木々も密度を増していく。しばらくは悪路ながらも車輌で近づけたが、ここから先は徒歩で進むしかなさそうだ。
 先ず飛び出してきたのは指揮官としてブラウンの制服を纏ったアヤノ本人。続いて、戦闘服を着込んだ若者たちが、ただ踏み固められただけの路肩へ次々と降り立っていく。その色合いは、男子は黒。女子はワインレッド。二色の戦闘員たちは、アヤノを先頭に深い木々の中へと踏み込んでゆく。
 さすがは精鋭部隊だけあって、一糸乱れぬ作戦行動――とはいかないらしい。隊列から少し遅れたところで少年が一人、息を切らせて追いすがろうとしている。その顔立ちはまるで女の子のようで、少し幼い。が、可愛らしい赤みを帯びた頬は泥にまみれている。汗を拭いながら必死に歯を食いしばっているが、それでも差を縮めるには至らない。本隊を見失わないようについていくのがやっとのようだ。
 そうこうしているうちに――とうとう森の切れ目が見えてくる。その先に見えるあの石垣の積み重ねられた建物群こそ、他でもない<モリノス遺跡>だ。
 足手まといとなっていた少年を置き去りにして、他の隊員たちだけで進撃していれば、追いつけたかもしれない。
 それでも、彼はここにいる。
 何故ならば、学生部隊だから。
 これも課外授業の一環であり――隊として彼のような者を一人は入れるような規則となっている。
 規則正しい隊列の中で、少年はひとり木の幹に寄りかかった。黒いスーツは甲冑のように首から下の全身を覆っているが、戦闘のために作られたものである。素早く内部の熱を放出していくが、それでも彼の鼓動の激しさを抑えるには至らない。
 見るからに苦しそうではあるが、アヤノは一瞥もせずに作戦方針の説明を始める。
「おそらく、<ホリスミ>、<タカヤゴ>両校も両脇を固めていることだろう。よって、我々も彼らと連携して包囲網を狭めてゆき――」
 だが、これに対して何者かが異を唱えた。
 それは他でもない、遅れてきた少年である。
「逆だろ……!」
 これには隊員たちは揃って眉をひそめた。
 隊長であるアヤノの眼光は、深くかぶられたヘルメットによって窺えない。それでも、鋭く刺すような威圧感だけは伝わってくる。
「どういう意味だ、サカタ」
 他の者であれば、気後れして口を閉ざしてしまうことだろう。
 だが、少年は彼女を恐れない。
「きっと、ヤツらしか知らない抜け道が隠されているはずだ。でなきゃ、こんなとこに逃げ込むわけがない」
 ゆえに、悠長に構えていては逃してしまう――
 サカタは漆黒の瞳に闘志を宿して訴える。
 アヤノはメットの鍔を少し上げ、冷徹な洞察力を湛えた漆黒の瞳でそれに応える。
 交錯するふたつの黒い視線。
 だが、所詮は末席の焦り――サカタの思いは指揮官によって一蹴された。
「フッ、机上の空論だな。そんな憶測で、文化遺産に突撃命令を出せるわけがなかろう」
 何より、相手は歴史を軽んじる連中であり、このような歴史的建造物はこちらの管轄にある。その目をくぐって細工などできるものか。
 そもそも、今回の危険レベルは下から二番目。仮に逃したところでそう目くじらを立てることもないだろう。それに引き換え、このような見通しの悪いところでの戦闘など、無駄な血を流しかねない。アヤノは隊長としてリターンに見合ったリスクを取るべき、と考えていたが――また“姉さん”の悲観癖かよ――サカタは、そのように捉えていた。
 彼女が、戦闘行動に対して慎重にならざるを得ない理由は解っている。それでも、敵をみすみす逃すことはできない――!
「なら、俺が様子を見てくる! みんなはここで待っていてくれ!」
 一方的に告げると、サカタは単身で遺跡の中へと飛び込んでいってしまった。アヤノから下された隊としての命令を振り切って。
「おい! ……ったく、あのバカは……」
「どうします?」
 副官からの問いようは、またいつもの暴走が始まった……と言いたげで、アヤノとしてもまともに気にかけることすら下らなくなってくる。
「ほっとけ。もしヤツの言うとおりなら、とっくに手遅れだろうさ」
 元々、サカタは戦力として然程期待されていない。そんな彼が一人抜けたところで、本隊は引き続き当初の作戦を遂行するだけだ。
 危険度低ローアラートな上に、包囲網は完成している――そのため、アヤノは完全に油断していた。
 ゆえに、もう一つの可能性を見落としていたのである。
 件の不審者がここを目指していたのは、逃走のためではなく、抵抗のためだった――という可能性を。

 ガオンッ!

「……カ……ハッ……!?」
 サカタの右肩は突如激しい熱に襲われ、その指から銃がこぼれ落ちる。
 自分は敵を追っていた。
 なのに、どうして背後から……!?
 振り向き様に、彼は見る。
 瞳に宿った金色の殺意を。
 装備を失っても闘志は失わず、少年は憎き敵に向けて叫ぶ。
「この……<金目キンメ>野郎がっ!」
 だが、彼らの反射速度はサカタよりも圧倒的に速い。
「死ねっ、<ヤクヅケ>!!」
 侵入者が足下の銃を見やったのを即座に察知し、それを阻むように銃口を向ける。
 が、それこそがサカタの狙いだった。
 落とした武器は回収することなく身を翻し、逆の手でそのまま予備銃スペアを引き抜く。
 辛うじて先手は取れそうだが、狙いを定められる体勢ではない。
 とにかく、どこかに当たってくれ――!
 祈るような気持ちで、彼は指に力を込める。
 ガォンッ!
「グァッ――!?」
 破裂音に交じる、敵の呻き声。
 どうやら、何らかのダメージを与えられたらしい。
 だが、辺りは石造りの建物に囲まれている。これでは、どこから狙われているかわかったものではない。
 相手に手傷を負わせた僅かな隙に、サカタは少しでも安全な場所を探す。
 とはいえ、迷っている猶予すらなさそうだ。
 彼は考えなしに一つの建物の中へと飛び込む。
 しかし、そこは……
「ちっ……縁起でもない」
 列を成す石造りの直方体たちはおそらく石棺だろう。
 つまり、ここは――古の遺体安置所か。
 だが、身を隠すには丁度いい。
 風化して、ところどころ欠けたり崩れたりしているものも多いが、その中に一つ――砂埃にまみれながらもかなり良い状態で遺されていたものがあった。
 その裏側に隠れ、ようやくサカタは一息つく。
 そして、悔やむ。
 我ながら――迂闊だった。
 ここが敵の侵入路として使われているのなら、ヤツらの一味が蔓延っていても不思議はない。
 どうやら、領内に這入ってきた敵を追っているのではなく、敵の領内に単身で立ち入ってしまったようだ。そのことを、サカタはようやく思い知る。
 が、銃声が聞こえれば、包囲していた各部隊も動かざるを得ないだろう。
 ここは、援軍を待つべきか。
 サカタは、その場で息を潜める。
 周囲の気配に深く耳を立てながら。

 しかし――

「隊長、銃声が!」
「わかっている!」
 アヤノはここでようやく判断ミスを自覚する。やはり、あのご子息から目を放すべきではなかった! こうなっては、独断で警告指数アラートレベルを上げて対応せざるを得ない。
 とはいえ――
 地形は障害物だらけで、敵の勢力も未知数だ。しかも、窮地に陥っているのが民間人ならともかく、命令を無視した自分の部下である。そんな者のために、部隊を動かすわけにはいかない。
 アヤノが急いているのは、個人的な感情の問題である。
 ならば。
 個人的に解決するしかない。
 やれやれ、これでは自分もご子息を笑えんな……
 共に暮らすようになって、弟分の無鉄砲さが移ったのかもしれない。自嘲しながらも――アヤノは自分の決断を改めるつもりはなかった。

 だが、その時すでに――

「大人しく投降しろ! 貴様の命運は、我ら<リネージュ>の手中にある!」
「何なら、建物ごと生き埋めにしてやってもいいんだぞ!?」
 まだ懲りないのか、とサカタは怒りを噛みしめる。我ら人類が積み重ねてきた歴史――<金目>という連中はそれを歯牙にもかけない。過去を、祖先を、生まれ与えられたものに感謝もせず、命そのものを捻じ曲げる。
 まるで、世界のすべてを自由にできるかのような傲慢さで。
 その結果が――<ヨシノ寺院の爆破事件>へと繋がった。
 怪我人も出ていないのだから、と<金目>どもは言うが、そこまで積み重ねてきた六〇〇年の歴史を爆破炎上させておいて、それが悪戯な挑発行為で済むはずがない。
 これに反発して、過激派<マイト>による襲撃が勃発。彼らは<金目>の建物に火を放った。貴重なサンプルが詰まった研究施設に。
 未来を見据える者たちは過去を焼き捨て、過去を抱く者たちは未来を焼き払い、和解の手立ては完全に焼け落ちた。こうして、ふたつの勢力は事あるごとに小競り合いを繰り返してきたのである。
 とはいえ、サカタたち<学徒連合>は学生だけに、積極的な攻勢に出ることはない。基本的には領内に潜入してきた敵を排除するだけだ。入隊一年目とはいえ、幾度となく勝利に貢献してきた実績はある。ゆえに、サカタに焦りはない。腕の痛みに耐えながら、慎重に相手の出方を窺っている。
 部屋の入口を固めている二人の兵士は、どちらも傷を負っていない。すなわち、認知しているだけで少なくとも三人。他にもまだいるかもしれない。が、数で捻り潰せるほどの勢力でもないようだ。それでも、迷い込んだ鼠を一匹始末することは可能なのだろう。
 サカタは何とかやり過ごそうとするが……ここに隠れたことは完全に視認されていたらしい。さらには、こちらが一撃を加えられていることも。
「手負いの<ヤクヅケ>に何ができる? もう諦めろ!」
 隠れている意味もないのなら……この挑発に対して、自らを抑える必要はない!
「俺は、<マイト>じゃねェ!」
 それを証明するものは、ある。
 彼の左腕には――何もない。
 <メルティ>を注入する際に刺す針の跡も、何も。
 何故なら、彼には資格がない。
 <メルティ・リジェクション>――強化薬物に関して、彼は不適格の烙印を押されている。
 ゆえに、彼は生まれ持ったものだけを奮って生きてきた。
 そういう意味では、彼に銃口を向けている彼らも同じこと――ではあるものの。
「ならば、我々と同じ<ハイクラス>か!?」
「<金目>でもねェよ!」
 試験管から育まれた生命は、その過程で瞳が金色に染まる。だが、サカタの両目は親から受け継いだ深い黒色。そこには人為的に遺伝子を操作された痕跡はない。
「ならば、貴様は何者だ!?」
 そう問われて、彼は覚悟を決める。助けを呼ぼうにも、この地点ポイントを適切に説明できない。偶然見つけてくれる可能性に期待しようにも、すでにあちこちで銃撃戦が始まっている。ここを切り抜けることは不可能か。ならば、せめて最期は自分らしく……!
「覚えておけ! 俺の名はハルヒト・サカタ――」
 飛び出しながら、銃声一発。
 おそらく、相手一人は戦闘不能にしたはずだ。
 しかし――
 即座にもう一人から迎撃が放たれる。
 その凶弾がサカタに残されたもう一本の腕をも貫き――彼は石の棺の上に力なく倒れた。
 両腕を負傷して、無傷の敵が一体残っている。
 自分にできることは、もうなさそうだ。
 失血によるものか、抵抗するだけの力も湧いてこない。
 捕虜になるくらいなら、このまま死んだ方が良いだろう。
 とはいえ。
 彼には夢があった。
 自分のような不適格者を出さずに、広く処方できる<メルティ>を開発するという夢が。
 それを叶えられないのが口惜しい。
 これが、<ノーマル>の限界だったのか……?
 ……いや、まだだ!
 意識を失うまで戦い続けてやる!
 そんなサカタを憐れむように、歩み寄る敵兵には何ひとつ警戒する素振りもない。
 最後の一矢を――と銃を構えようとするも――
「ガッ……グ……!」
 力を込めた腕から鮮血が迸る。
 狙いをつけるどころか、引き金を引くことさえできそうにない。
 だが、これが相手を怯ませる結果となった。

 ピー……ピピピ

 どこからともなく鳴り響く不可解な電子音。
 これに、<ハイクラス>たちは慌てて建物から退避していく。
 自爆でもされては巻き込まれかねない。
 だが――

“キーデータ・ノーコンフリクト。レスポンス・オールグリーン”

 遺跡に似つかわしくない合成音声と共に――
 サカタがもたれ掛かっていた石棺の蓋が、ゴゴゴと削るような音を立てながら流れていく。
 そして、重心を失ったところでゴトンと傾いた。
「グ、ゥ、ガハッ!?」
 斜面を転がり落ちるだけで、彼の両腕の傷が痛む。
 そのまま石畳の上へと仰向けに放り出されてしまった。
 この不可解な事態を前に、優勢だった彼らは殊更慎重を期す。
 <マイト>でも<ハイクラス>でもない<ノーマル>ひとりを相手に、これ以上手負いを増やしたくもない。
 そんな両勢力の間に割って入ってきたのは――
「んぁ……にゃぁぁぁ……」
 緊張感の欠片もない大あくびだった。
 これには、覗き込んでいた兵士も我が目を疑わざるをえない。
 開いた棺から身を起こして背筋を伸ばしている少女は――丸腰だった。
 見るからに、丸腰だった。
 武具どころか防具ひとつも身につけていない。
 暗器を潜ませる余地もない。
 彼女は両陣営の間に素の肌を晒していた。
 腕を伸ばせば控えめな胸が浮き、
 首を回せば蒼い髪がサラリと両肩を撫でていく。
 その仕草は少年のようでもあるが、身体を描く曲線は、紛れもなく女のもの。
 突如目の前に現れたなめらかな肌に、サカタは思わず心を奪われた。
 が――
(3……1……5……?)
 谷間、と呼ぶよりそこは盆地。
 その窪みにははっきりと、三つの数字が刻み込まれていた。
 この子は一体……?
 ふと視線を上げると、どうやら彼女はスンスンと鼻を鳴らしているようだ。
 頬についても無駄な肉を削ぎ落としたように細く見えるが、骨が張るほどではない。何か言いたげな唇に合わせてムニムニと柔らかく揺れており、それでもこれといって口が開かれることはない。
 状況が掴めていなかったようで、少女は黙ってしばらくあたりをきょろきょろと窺っていたが、ふいにサカタと目が合った。
 丸くて大きな瞳は緑色――少なくとも<金目>ではないらしい。これに、サカタは一先ず安堵する。
 かといって、腕に<メルティ>を打った跡もない。
 ならば、彼女は――何者だ……?
 彼の訝しむ視線にも、
 一糸まとわぬ自分の姿に気づいていないのか、
 裸の少女は血まみれの少年に微笑みかける。
 眉は整えられておらず少し太め。前髪も伸びたそのままで、乱雑に額へと下ろされている。
 それでも、その自然な可愛らしさにサカタは照れて、彼女の目を直視することができない。
 しかし……
 少しの間だけ、彼も忘れていたが、
 ここは、戦場である。
「きっ、貴様……何者だ……!」
 突き付けられた銃口を前にして――それでも彼女が怯むことはない。
 というより、未だ現状を理解できていない。
 ゆえに、振り向く。
 呼ばれたから。
 危機感がないから。
 敵意を放つ、その相手に向かって――!
 目は合った。
 が、彼女は問いに答えない。
 ただ。
 その硬い器は、彼女にとって些か窮屈だった。
 それで、飛び出す。
 ひょいと軽く、小さな箱から身を翻して。
 横たわるサカタを軽々と飛び越して、降り立つ。
 石畳の上に、裸足で。
 すらりと細いふくらはぎ。
 そこから連なる腿もやはり細く。
 だが骨張ることもなく、その曲線はなめらかに。
 背筋も柔らかく、そしてやや弱々しく見えるも――
 それらをまとめ上げる腰元の膨らみだけは、しっかりと。
 身体のすべてを、そこで支えているかのようだ。
 少女が立つその場所は、まるで少年を庇うかのごとく。
 結果、外敵とを隔てるものは何もない。
 これに――
 <リネージュ>の兵士は反射的にトリガーを引いた!
 彼女の眉間に標準を合わせて――

 しかし。

 バキンっ!

 弾痕が撃ち付けられているのは、彼女の身体の向こう側。
 偶然外したのか。
 手元が狂ったのか。
 だが、二発目の発砲で理解した。
 炸裂音と共に、彼女の頭がブレる
 まるで、弾道によって押し退けられるように。
 ナイフ投げの曲芸のような際どさで。
 <ハイクラス>でもない、
 <マイト>でもない、
 <ノーマル>の子供が……?
 疑問は疑問のままに、彼女は動き出す。
「危ないですよ」
 身を屈めて、滑るように。
「痛そうですよ」
 一瞬姿を消したかと思えば、金色の瞳の下から青い頭がニョキリと生えてきた。
 そして、無造作に握り拳へと手を伸ばす。
 本人としては、その物騒な得物を取り上げようとしただけなのかもしれない。
 だが――
 引き金に指を掛けたまま捻れば、当然こうなる。
「ぐぁ……っ!?」
 <ハイクラス>といえど、超人ではない。その関節はあくまで人間のものであり、テコの原理に従ってパキリと鳴った。
 相手の不可思議な身体能力も相まって、彼の選択は――撤退。ここは<リネージュ>の拠点である。逃げることに不自由はない。
 そして、彼女がそれを追うこともない。ひたひたと引き返してきたのは、サカタの枕元。石の寝床に再び収まるつもりはないらしい。
 彼の目の前に、覗き込むように少女の瞳が下りてくる。身体ごと横になって膝を抱えると――目を閉じた。そして、すやすやと寝息を立て始める。どうやら、敵意はないようだ。
 その平和的な様子に――彼の緊張の糸も切れる。何とか、生き延びられたらしい。その安堵から、サカタはもう意識を保っていることはできなかった。

       ***

 戦場を渡り歩く者として、病院の世話になるのは数知れず。
 だが、知らないうちに運び込まれたのは初めてだ。
 <メルティ>による治療などされていないか――と、腕を見るが、そこに注入の跡はない。携帯していた<メルティ・カード>は確認してもらえたようだ。
 人によって、適合する成分もあれば拒否反応を起こす成分もある。サカタの場合――オール・レッド。現在流通している<メルティ>に分類される治療薬を投与されれば、快復に向かうどころか、たちまち身体を蝕んでゆく。
 <マイト>の勢力下にいながらオール・レッドの<メルティ・リジェクション>――男子でありながら、その身体能力は女子にも及ばない。それが、サカタが強さを求める理由でもある。しかし、現実は彼が思っているより遥かに険しい。戦果どころか、治療にさえ時間がかかってしまう。<メルティ>による最新医療を用いれば手っ取り早いとわかっていても。
 記憶はやや混濁しているが、それなりに鮮明に残っている。
 が、真っ先に思い描かれるのは、見ず知らずの少女の――!
 顔に熱を感じて、サカタは雑念を頭の外へと追いやった。
 いま考えるべきは、あの戦闘のことである。
 自分が戦っていたのは、当初のターゲットだったのか。
 もしくは、それを助けに来た増援だったのか――
 <金目>が相手ならば、銃の使用に関しては問題ないはずだが、逃亡者を捕獲できなかったのは痛い。こうなっては、何の情報も掴まれていないことを祈るばかりだ。
 自分の戦果は、敵兵一人に手傷を負わせたのみ。
 それに強いて加えるならば、民間人を一名保護……?
 逆に民間人によって保護されたような気もするが。
 しかしそもそも、あんなところから現れる民間人などいるはずがない。
 彼女は一体何者だったのだろうか。
 それを考えようとする度に、別の記憶が蘇ってきてしまう。
 ……とにかく、動けなかった自分には、何も関与できていない。
 あの後、何が起きたのか――それを訊ねる前に、先ずは一言詫びを入れるべきか。
「迷惑かけたな、姉さん」
 備え付けのテーブルに乗るのは見舞いの品ではなく書類の山。彼女は生徒会長として、職務を滞らせるわけにはいかない。それでもこうして――会議や面談を取りやめて、彼女は弟分に付き添っていた。
 患者の意識が戻ったことに気づいて、彼女は走らせていたペンを止める。そして、軽く肩を回して、怪我人を見下ろした。
 彼女はもう、戦闘服は着ていない。日常に戻った、学校指定の制服である。藤色のブレザーに赤いリボン。深紫のスカートは年相応に短く、膝上まで伸びたストッキングには足の稼働を高める効果もあるようだ。
 長いポニーテールも、窮屈な戦闘帽に押し込められてはいない。女子にしては少なからず勇ましげな眉は姉として、そして生徒会長として、厳しく下級生を叱りつけているようだ。
 それでも鋭い目つきの方は、多少は和らいでいる。
 戦いが終わったことを実感して、サカタはゆっくりと身を起こした。
 そんな彼を、アヤノは呆れ顔で軽く小突く。
 怪我に障らない程度に。
「馬鹿者が。またあんな無茶をして……」
 結果として、サカタの憶測は的を射ていた。
 が、これに対する彼の判断は適切だったとは言い難い。
 とはいえ――
 被害に遭ったのが随伴していた<ノーマル>だったのが不幸中の幸いだったといえる。
 階級的な差はないものの、扱いとしては練習生に等しい。
 戦力への影響も限定的で、彼の負傷については上層部に責められることもないだろう。
 むしろ今回、対外的に最も大きな失態と評されてしまったのは――
「ま、私も私で運び込まれた側なのだがな」
「ハァ?」
 当然のことながら、サカタはアヤノに助けられたと思っていた。が、その本人すら病院に担ぎ込まれたとなると……?
 その間抜け面を拝みながら、アヤノは弟分の無事に感謝する。
 そして、我が身についても。
「貴様の救援には向かったのだぞ? それも、私ひとりでな」
 隊の進軍は副官に委任して、彼女は単独で敵地へと潜入していた。
「無茶するなよ」
「貴様が言うな」
 頭は大丈夫か? と言わんばかりに、アヤノは無鉄砲な額をノックする。
 これにサカタは……何も言えない。
「何より、私は警告指数アラートレベルを4に設定した上での突入だ。貴様とは違う」
 統率の取れた武装集団との衝突――それを想定していれば、戦い方も変わってくる。
 下手に銃声を鳴らせば、一気に囲まれてしまうかもしれない。
 周囲の気配を探りながら、慎重に、敵を見つけては、背後から忍び寄り――首を極める。
 手間は掛かるが確実に一人ずつとしていった。
 とはいえ、これは気力体力共に消耗が激しい。
 己の<カルマ>に打ち負けぬよう自分を奮い立たせるが――
 少年を発見したところで……つい気が緩んだようだ。
 出血は派手だが、銃創は急所を外れている。
 すぐに応援を呼べば間違いなく助かるだろう。
 その安堵が――彼女の意識を急速に削ぎ落としていった。
 ここで倒れては、助かる者も助からない。
 危ういところではあったが……アヤノは彼女を利用することにした。
 怪我人の隣で気持ち良さそうに寝息を立てていた、彼女を。
「無線で場所を伝えつつ、睡眠ガスにやられた……と添えておいたからな。お陰で精密検査は避けられた」
 呼吸も心拍数も異常なし。ならば、下手に動かさずに経過を見た方が良い、という判断となったようだ。
 その経緯を聞かされて――サカタはようやく自分の軽率さを思い知る。
「本当に……すまなかった……」
 座ったままではあるが、サカタは深々と頭を下げた。
 心の底から、申し訳ないという気持ちで。
 彼女がこの地の病院で治療を受ければ――それこそに関わっていたかもしれない。
 それでも。
 自分の判断は間違っていなかった、と彼は今でも信じている。
 ヤツは、味方と合流する前に討つべきだった。
 それが叶わなかったのは――純然たる力不足。
 もっと、強くなりたい……!
 己の不甲斐なさに、サカタの拳に力が篭もる。
 だが、強さとは――?
 例えば、銃を向けられても怯むことなく、
 放たれた弾丸をも身のこなしで回避し、
 一瞬の隙に間合いを詰めて、敵を無力化する――
 そんなことが、<マイト>でも<金目>でもない女の子に……?
「で、隣で寝ていたアイツはどうなったんだ?」
 精密検査は避けられた、ということは、ふたりとも本当に寝入っていたのだろう。あんな不審者を<機関>の人間が放っておくとも思えないが。
 これに、アヤノは軽く溜息を吐く。
「ヤツは……こっちだ」
 アヤノは席を立つことなく、丸椅子を回して背を向けた。サカタも釣られてそちらを見やるが……確かに、隣のベッドは肌布団の中央がこんもりしている。そういえば、石畳の上でもあんな風に丸まっていたか。どうやら、これが彼女の寝相らしい。
 アヤノがさっと布団を剥がすと、中から例の蒼髪が現れた。が――
「おっと、これは刺激が強すぎるな。怪我に障る」
 実際、サカタは自分の血圧が急上昇したのを感じていた。目を丸くする男の子から隠すために、アヤノは即座にカーテンを閉める。
「一度は着せたというのに。露出癖でもあるのか? この小娘は」
 アヤノは一人、その垂れ幕の裏側へと立ち入っていった。
 そして始まる影絵劇場。
 つるりとした幼子であっても、そのシルエットは艶めかしい。寝起きでフラフラしている影に向けて詰問するのは、凹凸の顕著な大人の女性。両者のやり取りは、だらしのない子と、それを叱る母親のようにも見える。
「おい、服はどうした」
「服ですか? そこですよ!」
 小さな影が枕元を指差している。しかし、この無思慮な一言によって、何やら暴力的なシーンが始まってしまった。アヤノは何発か腕を振るっているようだが、打撃的な効果音はない。サカタもこの目で見たが……彼女の回避能力は凄まじいものがあるのだろう。
 少しして――アヤノは鉄拳制裁を諦めた。が、このまま放置もできない。
「そこですよ、じゃない。着ろ」
「……ションボリ」
 何だかんだで、強く言えば従うようだ。
 彼女の言う“そこ”とはベッドの枕元だったようで、カーテンを揺らすことなく着衣に取り掛かる。例え輪郭だけだとしても――サカタは女の子の着替えを覗き見しているような気分になってしまい、つい布団に潜ってしまった。
 シャッ、と仕切りが取り除かれた音を聞いて……彼はようやく顔を出す。
「……何をしているのだ、貴様は」
 男女兼用のパジャマに身を包む彼女はベッドの上で胡座を掻いていた。そのままユラユラと左右に揺れる謎の少女に……サカタには掛ける言葉がない。
 ゆえに、対話の矛先はアヤノへと向けられる。
「姉さん……アイツ、一体何者なんだ?」
 小声で問われるアヤノであったが……
「それを私に訊くか? ……まさか、あの石棺から出てきた……とでも言うのではあるまいな?」
「知っているのか!?」
 逆に、質問に質問で返すも、アヤノはかぶりを振るばかり。
「まさか図星とは……。一つだけ蓋が開いていたからな。こんなことなら、少しでも調べておくべきだったか」
 残念ながら、今回の戦闘の直後、当の遺跡は閉鎖されてしまった。敵地との抜け道が掘られていた可能性もある。捨て置くわけにもいかない。今では<学徒連合>の管理責任を負う<統率機関>によって管理されている。これでは、生徒会長とはいえ触れることは難しい。
 お互い何も知らないのであれば、当の本人に訊くしかなさそうだ。どうやら、言葉は通じるようだし。
 だが……
 女の子からニッコリと微笑まれただけで、サカタは真っ赤になって俯いてしまう。
 コイツは使い物にならんな……。アヤノは自らこの不審者を問い質していくことにした。
「私の名はアヤノという。それで……君の名は?」
 これに、少女は答えない。
 というより、聞いている様子もない。
 フワフワと忙しなくあちこちを見回していたが……その視線には気づいてくれたようだ。
 そして、自分を指差し、こう尋ねる。
「君?」
 どうやら、自分に問われたとすら思っていなかったらしい。
「そうだ。貴様だ」
 下手したてに出ても進展はないと見て、アヤノは語気を強めた。ここでようやく、少女はようやく考え始める。腕を組んだり、顎に指を当てたり、上下左右に視線を泳がせたり。
 そして至った結論は――
「うっかりかりかり 忘れてた! 忘れてた!」
「何をだ」
 考えているフリをしながら、実のところ何も考えてなかったのではなかろうな……? アヤノは頭の弱そうな幼女に睨みを効かせる。本当は二・三発ぶん殴ってやりたいところなのだが、それは通じない。あの余裕は、身のこなしに対する相当な自信から来ているのだろう。
 苛立つアヤノに対して、少女はどこまでもマイペースだ。
「名前! 必要ないから!」
 秘匿しようとしている――わけでもなさそうだが、その理由がよく解らない。
「必要ない? 何故?」
「必要性を感じないからです!」
 これは厳しい展開だな、とサカタは傍から見ていて肝を冷やす。さっきから、まるで会話が成立していない。このままでは、固く握られたアヤノの拳が自分に向けて飛んできそうだ。そうなる前に……少しは怒りを和らげてもらいたい。
「もしかして、記憶喪失なんじゃないか?」
「その割にはよく喋るがな」
 とはいえ、記憶の一部が切り離されてしまう症状もあると聞く。アヤノは、今回の件に無関係な個人の事情に興味はない。遺跡で起こったことさえ聞かせてもらえれば良いのだから。その身に降り掛かった暗い過去を蘇らせては、面倒事が増えてしまう。
 会話の入り口で引っかかってしまった二人を見て、少女は少女なりに考えていた。
「お名前、お名前、必要ですか?」
「少なくともこの場において、貴様を識別する名称がないと、我々が不便する」
 これまでは必要なかったが、どうやら今は必要としているらしい。ゆえに少女はそれを求める。
「それは大変ですね。では、名前を下さい!」
 特に具体的な要望はないようだ。が、これでは逆に難しい。
 ならば……とアヤノは思いついた単語を口にしていく。
「ネコ……イセキ……」
 この呟きを聞いては、サカタも何か提案せざるを得ない。いくら便宜上でも、一般名詞ではあまりに可哀想だ。
 とはいえ、長々と考えている猶予もないだろう。
 それでサカタが思いついた名も、それはそれで安直なものだった。
「ミーコ」
 響きも悪くないし、アヤノに付けられるよりはマシに違いない。これでどうかと目で問い掛けると――アヤノは不敵な笑みで返す。
「フッ、色気付くなよ?」
 その名の由来――そして、それがどこに記されていたか――暗に指摘されて、サカタは何も言えずに下を向く。
 ともあれ、それが自分を識別する名称なのだろう――と少女は判断した。
「それでは、ミーコはミーコです!」
 名前も決まったところだが――記憶のない小娘の相手をしているほどアヤノは暇ではない。むしろ、生徒会長としての調査力を用いれば、より深い情報を探ることもできる。
 ゆえに。
「ということでご子息、私はここらで引き上げさせてもらう。あまり生徒会室を空けておくわけにもいかんしな」
 アヤノは書類を纏めて席を立つ。おそらく、学校の自分の席には新たな業務が積み重なっていることだろう。
「悪かったな、姉さん」
「そう思うなら、貴様がソレのことを調べておいてくれ」
 期待はしていないがな、と余計な一言を加えて、彼女は病室を出ていった。
 話し相手がいなくなったことで、彼はようやく部屋の中を見回す。大した怪我でもないのに相部屋ではなく個室を当てられているのは、父親の権威とやらが効いているのだろう。感謝しなくてはならない――そう頭では解っているが、息子としてはやはり面白くない。
 ただ――
 今回は少し狭く感じる。本来一人で使う部屋に二つの寝台が押し込まれているのだから当然か。これは、アヤノの判断に違いない――とサカタは察する。別段怪我もしていないのだから、同室に放り込んでおけば良い、と。
 あまりに大雑把というべきか、
 危機感がなさすぎるというべきか、
 自分を信用しすぎているというべきか。
 何より、このように男扱いされないことを、彼は最も嫌う。
 顔立ちはやや頼りないかもしれない。
 それでも、体つきはこんなに逞しく鍛えている。
 だというのに――
「って、何してんだ!?」
 ふと顔を上げると、そこに飛び込んできたのは白い背中。
 ついさっき着たばかりの水色パジャマを早速脱ぎ始めている。
 アヤノと違い、彼には裸の女の子に強く当たることはできない。
 できることといえば――布団をかぶりながらのこんな悲しい自己主張だけ。
「おまっ……俺は……その……男だぞ!?」
 これに対して、ミーコからの返答は異様に力強い。
「ミーコ知ってます! ご子息とは、男の子のことを指すのです!」
 知っているのなら……と恐る恐る顔を出してみるも、一目で即座に引っ込んだ。そんな彼を気遣うことなく、彼女は相変わらず白い肌のまま布団の上でゴロゴロしている。
「おい! わかってて何で着ないんだ!?」
 顔も出せずに暗闇に向かって叫ぶも、ミーコからの返答はいつもどおりだった。
「ヒラヒラ ユルユル 危ないですよ?」
 隣のベッドで空っぽになった病人服の袖をクルクルと振り回しながらミーコは言うが、当然、サカタには見えていない。
 何が危ないかよく解らないが、それ以上に危ない格好があったものか!
「もう知らん! 俺は寝る! お前も寝ろ!」
 姉さんには悪いが――彼女は、俺の手には負えそうにない。
「了解! ミーコ寝ます! おやすみなさいです!」
 少なくとも、眠ってくれれば布団に潜ってくれるのだろう。明日は病室を別にしてもらわないと……これでは、自分の身が持たない。サカタは静まらない胸を押さえて、何とか寝入ろうと目蓋に力を込めた。

 が、隣に全裸の女の子を寝かせて暢気に眠れるほど、サカタは無神経な男でもない。ずっと彼女のことばかり考えていた彼は、明け方一つの結論に至った。
“ヒラヒラユルユル”が危ないのなら、“ピッチリ”していれば良いのだろう。
 朝食を運んできてくれた病院のスタッフに言伝を頼むと、アヤノは午前中のうちにソレを届けに来てくれた。
「まったく、私は暇ではないのだが……弟分の貞操の危機とあらば仕方あるまいよ」
 どうやら一限目を自主休講してきたようだ。出席日数の方は問題ない。なにせ、彼女は生徒会長であり、生徒会の重役には公欠が認められている。つまり彼女は、この面会を生徒会の仕事の一環として、捉えているようだ。
 隣のベッドは相変わらずこんもりとしており、その中には裸体が丸まっているのだろう。アヤノは今回もサッとカーテンを閉ざし、その向こう側で昨日に続いて第二戦が始まった。
「着ろ」
「再考を求めます!」
 突き付けられたそれは、ミーコのお気に召さなかったらしい。が、こんな下らない押し問答は時間の無駄だ。
「要請は却下する。貴様は<連合>の決定に従い、コレを着用せよ」
「……ションボリ」
 このくらい毅然として命ずれば、サカタでも彼女を御することはできるのかもしれない。それも、彼女が服を着てくれない限りは難しいのだが。
 さて。
 少し手間取ったが、幕が開けられた時には、彼女は裸ではなかった。が、サカタにはこれでも直視は憚られる。
「……何を照れている。これでは水泳の授業が思いやられるな」
 一応、学校指定のものを持ってきてもらった。が、プールで着るのと、このような病室で着るのとでは印象が変わってくる。その上、ミーコは無造作に――
「掴まれますよ? 危ないですよ?」
 ビロンと襟元を引くことで顕になる315の文字。アヤノは反射的にその危うい手を払おうとするが――これも水着少女はするりと避ける。ともあれ、ゴム製の襟はパツンと元に戻ってくれた。
 そしてミーコの言わんとするところを、アヤノにもようやく理解する。それならば……と彼女は鞄から自分のセキュリティカードを取り出した。生徒会室に入室する際に必要になるもので、携帯しやすいよう紐の付いたカードホルダーに入れられている。
 そして、この類の首紐は安全上、両側から強く引くと――
「どうだ?」
 パツンと繋ぎの留め具が途切れた。どこかに引っ掛けた際の窒息事故を防ぐための措置ではあるのだが、ミーコはいたく気に入ったらしい。
「いいですね! 素晴らしいです!」
 諸手を挙げて喜びを表現するミーコ。おそらく、この留め具を水着に転用すれば、彼女も納得するだろう。そのくらいの裁縫であれば、造作もないことである。……洋裁部に生徒会の権限で命ずれば。少なくとも、気の弱い男子を必要以上に怯えさせることはなくなるだろう。
「明日までに用意してやるから、それまでは気を強く持つことだ」
 伏し目がちに赤くなっている弟分に言い聞かせると、今度はミーコに向けて睨みを利かす。
「それまではこれを着ておけ。いいな」
「次善の策として了承しましょう。何故なら、ミーコは良い子なので!」
 ……ウゼェ、とアヤノは心の内で唾を吐いた。が、何も言わない。面倒くさいから。彼女には生徒会長としてやることが数多く残されている。ここで分かる程度のことはご子息にでも任せておけば良い。アヤノには、アヤノにしかできないこともある。
 こうして厳しい生徒会長は去ったが、彼女の言いつけ通り、ミーコが水着を脱ぐことはない。一応、妥協できる範囲のようだ。
 それでも、サカタとしては、上着を羽織って欲しいところではある。が、彼女はそれを了承しないのだろう。薄着の女子には強く言えない以上、彼には諦める以外の選択肢がない。
 目のやり場には気をつけつつ……ようやくサカタはミーコと相対することができた。
 とにかく、先ず何よりも知りたいのは――
「お前、どうしてあんなところに入ってたんだ?」
 それも、上に乗っただけで勝手に開いた気がする。どう見ても、過去の遺物とは思えない。
 だが。
「入ったのではありません! そこにいたのです!」
 どうやら、それ以前の記憶がないようだ。これでは歳も出身地もわからない。分かるのは……石棺から出た後のことだけ。しかも、一騒動起こした後は、気絶したサカタの隣で寝ていたと思われる。そして、その後は共に病院へ。残念ながら、何の情報も得られそうにない。
 とはいえ……記憶はなくても、好き嫌いの感覚はあるようだ。ならば、そこから見えてくることもあるかもしれない。
「お前、文字とか読めるのか?」
「馬鹿にしないでください! ミーコ、結構博識ですよ?」
 確かに、『ミーコはオマエなどという名前ではありません!』とは言い出さなかった。自分の記憶はないものの、最低限の情報だけは持ち合わせているらしい。ならば、それを引き出してみよう。
 彼の容態は、自由に歩ける程度には回復している。エレベーターホール前のロビーまで出向くと、まだ時間が早い所為か、部屋は閑散としていた。なので遠慮なく――彼は普段の自分が絶対に触れることのない女性誌を手に取る。とはいえ、男がこのようなものを読むのかと思われると、少なからず恥ずかしい。同室している女の子のために運んでいるだけだ……そう自分に言い聞かせつつ、せかせかと帰還。その間、誰にも手荷物には勘付かれなかった、と思いたい。
 戦利品を受け取ったミーコは流し読むことなく、冒頭の広告ページから食い入っている。
「それを読んで……どう思う?」
「とても……美味しそうです!」
 服飾関係に興味がないのは予想通りだ。やはり彼女の関心は食に向いている。サカタも隣から覗き込みたいところだが……水着少女に不用意に近づけるほど、彼の肝は太くない。
「何か食べてみたいものはあるか?」
「こちらです!」
 ミーコは雑誌を見開きにして、サカタの方へと突きつける。どうやらそこは、料理の名店を紹介している特集ページのようだ。
「魚か?」
 サカタは見たままの印象で問う。
「それでは、ミーコから耳寄りな情報をお伝えしましょう。聞きますか?」
「ん? 何だ?」
 食べ物を見ていたら何かを思い出したのかもしれない。とはいえ、食べ物である。思い出したとしても、大したことではないだろう、とたかを括っていたところ――
「ミーコは、お肉が大好きです!」
 思っていた以上の下らなさだった。
「……それがどうした」
 期待はずれ以前にまったく耳寄りでもない。すっかり白けてしまったサカタに対して、ミーコの気分はすこぶる盛り上がっている。
「昨日食べたお肉も至福でした! それが、こんなにいっぱい……これは、期待せざるを得ません!」
 ネコっぽいから魚好きだろうと決めつけていたが、そうではないようだ。とはいえ、ミーコも情報を正しく認識できていない。
「一人分じゃないからな、ソレ」
「にゃんですと!?」
 素で驚いている。どうやら本気で一鍋食べきるつもりだったらしい。が、昨日今日の病院食の平らげ方からして、そのような大食漢なさそうだ。知識はあるのに、その使い方を知らない――経験が著しく不足している。
「ホントに……お前、今までどんな生活をしてきたんだよ……」
 まるで、箱入りのお姫様が突如外界に放り出されたような。
 それなのに。
「ミーコは、昨日の煮物より、明日の肉鍋を楽しみに生きていきますよ!」
 その言い分は極めて俗っぽい。
「煮物に失礼なことを言うな。健康にいいんだから」
 とはいえ、そろそろ病院食ではなく俗っぽいものを食べたいものだ、と彼も思う。退院したら、ミーコを連れて、一度鍋でも囲んでみるのもいいかもしれない。

 これまで、向き合うことすらできなかった、ということはある。が、話してみると彼女は意外と面白いやつだった。知識に対して貪欲なのかもしれない。サカタの話に、ミーコは一つひとつ丁寧に頷いている。
「……ということで、いまはまだ半信半疑な人も多い<メルティ>だけど、もっと広く――」
 ここまでは熱心に<メルティ>談義に耳を傾けていたミーコだったが――
「ニャっ!?」
 ふいに廊下の方へと身を乗り出した。
「ご子息! ミーコから耳寄りな情報がありますよ!」
 今度はまったく期待していない。
「ご子息はやめてくれ。俺の名はハルヒト・サカタ。サカタと呼べ」
 アヤノ以外からご子息扱いされるのはやはり抵抗がある。
「ふむん……では、サカタ!」
 と呼び直した上で、
「お肉の気配を感じます! これは……ご飯の時間ですね!?」
 言われてサカタはサイドデスクの時計を見やる。食事のタイミングは厳密に動いているわけではないが、そろそろ頃合いかもしれない。
 少しして、配膳台を転がすガラガラという音が聞こえてきた。ミーコの鼻も大したものだとサカタは少しだけ感心する。
 そして、耳寄りな情報に違わず、それはやってきた。
「お夕飯をお持ちしましたー」
 鶏肉のハンバーグですよ、と告げられると、ミーコは子供のようにはしゃいだ歓声を上げる。
「お肉ですね! 至福です!」
 配膳台から移される最中さえ今にも飛びつきそうなミーコ。とはいえ、そこまで節操がないわけでもない。一応看護師さんが退室するまでは間を置いて――
「いただきます」
 と礼儀正しく手を合わせるのはサカタ。ミーコもそれに倣って同じように挨拶を済ませ、ぱっと食器に掴みかかる。朝は和食だったため箸を用意されていた。ミーコは苦もなくそれを使いこなしていた。なので、サカタは何の心配もしていなかったのだが――どうやらナイフとフォークの使い方はよく解っていないようだ。とりあえずナイフの方は無視して、フォークを肉の中央に突き立てる。
 が、これはどうにも食べづらい。それで、彼女は見様見真似で持ち替えてみた。
「ほう! これは便利な代物ですね!」
 コツを掴んだようで、モリモリ食べ進めていく。
 ハンバーグばかりを。
「おい、野菜も食べろよ」
 ミーコは付け合せの葉っぱを徹底無視。このような偏った食べ方はあまり感心できない。
 どうやら好きな順に食べたいようで、サカタから脇道を促されたミーコは眉をひそめる。
「…………」
 無言で手を止めたものの、他のものに口を付けようとはしない。じーっと固まったまま、サカタの顔色とミーコのハンバーグの間で視線を泳がせている。
 そこで、彼は食事の作法について説くことにした。
「肉ばかり食べてると口の中が脂っぽくなるからな。一口ずつ交互に食べるんだ」
「…………」
 あまり納得はしていないらしい。が、彼女は一先ず指示に従ってみることにした。
 レタスをフォークで刺して一口。
 そして、待ちかねたように再びハンバーグを味わうと――
「おお! お肉の味わいが一段とお肉らしくっ!」
 分かりやすいミーコの笑顔に、サカタの口も軽くなってくる。
「献立ってのは、食べ合わせで考えられてるんだ。全部を満遍なく食べるんだぞ」
 今度はパンを齧りながら、彼女はそのハーモニーに感動しているようだ。
「この組み合わせこそ至高ですね! ミーコ、覚えました!」
 こういうことを一つひとつ教えていかなくてはならないのは面倒なことだが……逐一感動してもらえるのなら、それはそれで面白い。
 だが――
 ついミーコを見守ってばかりで、不覚にも自分の食事が遅くなっていたようだ。彼女は丁度一食分平らげてしまったが、サカタは半分近く残している。これはちょっとカッコ悪かったかな、と食のペースを速めようとしたところで――
 ゴンゴン、と病院には似つかわしくないノック音。中からの応答も待たずに、扉はガラリと開かれた。
「邪魔するぞ」
 午前に引き続き、アヤノが再びやってきた。相変わらず、入室に遠慮がない。
 彼女は手に紙袋を携えており、その中身は、例によってカーテンを閉めなくてはならないものだった。
 いまのうちに、とサカタは黙々と自分の食事を進めていく。その時は、新しい水着とやらはどんなものか……とぼんやりと逡巡させるだけだった。が、彼は女子服のデザインに疎く、別段何も思いつかない。
 ゆえに、その幕が開かれたとき、サカタは最後の一口を吹き出しそうになってしまった。
「じゃーん! これなら掴まれてもヘッチャラですね!」
 件の紐をベースに、掴まれても逃れられる構造――という都合はある。だが、その要望に添えるには形状も制限されてしまう。裸ではないものの、極めて裸に近く――胸と下腹部だけを覆う生地は明るい黄色。それがまた、健全な青少年には刺激的すぎた。
「オイ、コラ。あまり強くすると本当に切れるからな。気をつけろ」
 切れるような作りとはいえ、自ら千切られては堪らない。
「大丈夫です! これなら捕まりません!」
「そういう問題じゃない」
 女子たちの一騒動を前に、サカタは思わず布団をかぶっていた。いつ肌蹴るかわからないのでは、のんびりと眺めているわけにもいかない。
 丸く突き出した尻と思われる部分を、アヤノは平手でボフンと打ち据える。
「寝るなよ、ご子息。今回は貴様に話があるのだから」
 それを聞いて亀のようにニョキリと頭が飛び出してくる。
 間抜けな体勢とは裏腹に、その目つきにフザケた色はなかった。

 それは、ミーコに聞かれてはならない話らしい。ヤツを一人にしておくのは些か不安ではあるが、アヤノはサカタだけを無人のロビーまで連れてきた。本来の面会時間は終わっているため、フロア暗く静まり返っている。
 そこで先ず、彼女は一方的に決定事項を告げた。
「あのミーコという小娘、しばらくうちで預かるぞ」
「なっ――」
 何故、と問いたいところではあるのだが、このまま身元が見つからなければそうせざるを得ないのかな、という予感はサカタにもあった。
 それに、彼女と話すのは何だかんだで楽しい。
 アヤノの案に異論はないが、その理由くらいは聞いておきたい。
「――何故?」
 そこで彼女は、日中に調べてきたことを彼に掻い摘んで説明することにした。
「実はな……公的機関の方を一通り漁ってみたものの、彼女に該当するデータは一切存在しない」
 これにはサカタも首を傾げる。彼女は体つきから見ても一〇代前半といったところだ。そんな長い期間、<統率機関>と係わらずに生きてこれたとは思えない。
 が、生徒会長たるアヤノが探りを入れて、本当に何も見つからないのだとすれば――
「どういうことなんだ? 姉さん」
 その答えを尋ねてみるも、彼女もまた渋い顔を返す。
「判らん。少なくとも――」
 ただの可哀想な記憶喪失少女というわけではない――それ以上のことは、これから調べていくこととなる。
 そのため、彼女は保護観察の名目でサカタ邸に匿わせる、と決めたようだ。
「学校は、どうすんだよ」
 朝から夕方まで、サカタもアヤノも留守にしている。ミーコを一人で家に残しておくのは心配しかない。
 が、これについては既に手を打ってある。
「転入については手続き済みだ。あとはお前がどうにかしてあの女を引っ張ってこい」
「何ィ!?」
 一方的に押し付けられるも、この反応はアヤノにとっても想定済みだった。
「日中話して、材料も揃っているのだろう? それともナンだ、私があちこちを駆けずり回っている間、貴様は無為に過ごしていたと?」
 そう言われると、サカタとしても断りづらい。
 沈黙をもって、アヤノは了承の意と捉えた。
「私はいつもどおり、朝は早く、夜は遅い。ミーコの世話は貴様に任せた」
「世話って……ネコじゃないんだぞ」
 まるで小動物のような扱いではあるが、どことなく雰囲気だけは納得できてしまう。
 どうやら、話はここまでのようだ。伝えるべきことは伝えたぞ、アヤノはロビーから足早に去っていく。ひとり取り残されてしまったサカタではあったが――ミーコを説得する自信など、彼にはない。

 部屋に戻ってくると、相変わらず彼女はいつもの就寝スタイルだった。そのこんもりした布団の中で、彼女は丸くなっているのだろう。
 が、サカタにはアヤノのように、強引に引き剥がすことはできない。ゆえに、慎重に、そして、恐る恐る。
「ミーコ……起きてるか……?」
 その呼びかけに、毛布がバサリと吹き飛び、中から現れた眩しい肢体に、サカタは反射的に身構えた。
 が、幸いなことに裸ではない。裸に近いとはいえ、最低限の貞操は守られている。
 だからといって、長時間相対せる姿ともいえない。なので、彼は単刀直入に切り出すことにした。
「なぁ、ミーコ……学校って知ってるか?」
「ミーコ、知ってます! 学校とは、学問を修めにゆくところです!」
 その回答は堂々としていて、極めて他人行儀である。
「そこに、お前も行かなきゃならんのだが……来れるか?」
「いいですとも!」
 何も考えずに快諾は得たものの、当日になって揉めるであろうことを今のうちに通告しておかなくてはならない。
「学校に行くためには、制服を着る必要がある。お前にアヤノと同じ格好ができるのか?」
 これも即答で肯定してくれれば楽だったのだが――
「アレはダメですね。掴まります!」
 悪い意味で、即答だった。とはいえ、サカタとしてもここは簡単に折れることはできない。
「だがなぁ……お前に水着で登校されると、俺の方が恥ずかしいんだが……」
 校内では、少なからず彼女の世話を焼くことになるだろう。そんな相手が水着姿では、彼としても肩身が狭い。
 言葉に詰まって目を伏せるサカタに、ミーコは励ましの言葉を掛ける。
「大丈夫です! ミーコも恥ずかしいですから!」
「だったら上に何か着ろよ!」
 本人も周囲も恥ずかしいのでは、誰一人として得をしない。が、それでもミーコは断固拒否。
「危ないですよ! 掴まれますよ!」
「だから、引っ張るなって!!」
 個室といえども夜は響く。つい大声になってしまったサカタは慌てて自らの口を押さえた。
 ミーコもサカタに怒鳴られて、おずおずと紐から手を離す。本人にも羞恥心があるのなら、本気で切る気はないのだろうけれど……そのような挑発行動は避けて欲しい。間違っても、これから通うこととなる学校では。
 そもそも、誰が彼女を捕まえるというのだろう。ここ何日か病院で共に過ごしてみたが、平穏そのものである。別段、刺客がやってくるような怪しい兆候もない。それでも彼女が不安を感じているのであれば、それを取り除く必要はある。
「少なくとも、学校は安全だ」
「何故ですか?」
 むしろ、街では危険な場所の方が少ない。だが、そんな中でも、学校はより安全な場所だと、サカタは思う。
生徒会長アヤノがいるし……俺だって、ずっと傍にいてやる。お前が誰かに服を掴まれそうになったら、俺が助けてやる。だから……着ろ」
 ミーコに、その発想はなかった。
 誰かが、自分を助けてくれるなどとは。
 だから、彼がどのように助けてくれるのか、ミーコにはわからない。
 それでも、好きで肌を晒したり、逃げ回っているわけではない。
 だから。
「んー……分かりました。サカタのその心意気を買いましょう!」
 何だか鼻につく物言いだが、これでアヤノにも顔向けできる。
 しかし、ミーコは――少なくとも<マイト>ではない。身体能力は<ノーマル>離れしているものの、強化人間で構成された<キリサワ学園>でやっていけるのだろうか。
 そんな不安な眼差しを、少女は希望に満ちた瞳で応える。
「ですから……サカタがミーコを守ってくださいね」
 そのように頼られては――サカタとしても嬉しくないはずもない。
 だが、彼女の敵はどんな奴らなのだろうか。
 男子としての照れ臭さと、未知なるものへの不安感――
 それらが入り混じって、サカタは今しがた抱いたばかりの苛立ちをもすっかり忘れていた。

       ***

 アヤノが想定していたミーコに対する交渉期間は、サカタが退院するまでのおよそ半月。それでも、アヤノは弟分を信用していなかった。何しろ、サカタのミーコに対する扱いは完全に腫れ物である。期待する方が無理な話だ。
 ゆえに――
「サカタが守ってくれるとの約束ですので、ミーコは通学のために制服を着用することを許容しましょう!」
 初めての戦果に、姉として素直に感心する。
「ほう! それは責任重大だなぁ……ご子息」
 登校初日、病院まで制服と通学カバンを届けに来ただけだが、案外愉快なものが見れたようだ。少女を護る騎士気取りの少年というのも、どことなく可愛げがある。
 とはいえ、どんな形にせよ、説得に成功したことには違いない。ずっと着衣という着衣を拒み続けていたミーコが、こうして制服を素直に受け取ってくれること自体がもはや奇跡だ。脱ぐことはなく、上に着重ねていくだけなので、カーテンは閉じずにミーコはそれっぽく制服を羽織っていく。このあたりのことは見様見真似で何とかできるようだ。
 サカタもまた、同様に着込みつつ、アヤノからの茶化した視線に恥ずかしそうに言い訳を呟く。
「ま、まぁ……学校内なら変な事件も起きないだろうし……」
 勢いで口にしたことをこうも大きく持ち上げられると、彼の方も少々照れくさい。
 そんな弟分に対して、姉は真顔で引き締める。
「いや、変な事件の一つでも起きてもらいたいものだが」
「姉さん!?」
 何を物騒なことを! と非難の目を向けるが、彼女の暴言に悪意はない。
「忘れるなよ、これは調査の一環だ。ヤツの素性を知る上での……な」
 それこそ、何者かが直接彼女を捕らえようと襲ってくれば、それが身元判明の糸口になるだろう。
 慣れない手付きでアヤノのように取り繕っていたミーコだったが、ここでふと違和感に気づく。
「おや? サカタとアヤノ、別々の服を着ていませんか?」
 みんながみんな異なる格好でいいのなら、自分も水着でいいはずだ。それがミーコの主張であるが、サカタもアヤノも制服である。
「形は違うけど、どっちも制服なんだよ」
 そういえば、病室では男女兼用の病衣をずっと着ていた。それで、性別による差があることを知らなかったのだろう。
 しかし、イマイチ理解できていないため、そこはかとなく面倒くさい。
「でしたら、ミーコはサカタタイプを所望します! ズボンの方が安全です!」
 実のところ……サカタとしても、アヤノは男装をしていた方が似合いそうだと思うこともある。が、そこは規則だ。
「女子は女子の制服を着るって決まりなんだよ」
「ミーコは、サカタの制服を着てはダメなのですか?」
 どうして自分の分はこうもヒラヒラしているのだろうか。これはズルイ、と抗議の視線を送るも、サカタに譲るつもりはない。
「ダメだ。校則通り、決められた制服を着ておけ」
「……ションボリ」
 肌の露出が減ったことで、サカタにもミーコを御することができるようになってきたようだ。これなら思っていたより安心できるかもな、とアヤノは弟の評価を上方修正する。
「不審な部外者については、生徒会も目を光らせている。内部の素行については……任せたぞ」
「……あぁ」
 自宅だけならともかく、学校までともなると気疲れしてしまいそうだ。とはいえ、アヤノもアヤノで生徒会として動いてくれているので、そこに口を出すこともできない。
 ミーコのおもりがどんなに大変か……それは、この一言に集約されていた。

「で、ミーコはここで何をすれば良いですか?」

 彼女とて、学校の意味は知っている。
 だが、学習の意思はない。
 そもそも、卒業するつもりもない。
 授業も聞かずに騒ぎだされては厄介だ。
 朝のHRホームルームで転入生として紹介され、サカタの隣の席に着いたところで早速この爆弾発言である。
 これには、新たなクラスメイトに興味津々だった同級生たちとて警戒せざるを得ない。
 とにかく、事は穏便に済まそう……。サカタは、そのための術を伝授する。

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